白球回想 夏の兵庫大会史
兵庫球児100年のあしあと 39
1990年 第72回大会から3年ぶりに育英が優勝。
1935年 第21回大会で育英商が初優勝を飾ってから5度目の甲子園。
甲子園では初出場の21回大会準優勝が最高成績。
22回大会ベスト4、39回大会初戦敗退、72回初戦敗退。
21回大会から58年戦い続け悲願の初全国制覇を成し遂げた。
兵庫勢としては1981年 第63回大会 報徳学園が全国制覇を遂げてから12年ぶり7度目の全国制覇。
育英の制覇から24年、兵庫球児は甲子園決勝の舞台から遠ざかっている。
特別な夏にその姿を観たい!
第75回大会(1993年)
~育英、悲願の全国制覇~
第75回大会決勝、8回、内野ゴロの間に生還する育英の大村直之
前年秋の兵庫県大会は公立勢が4強を独占。
春の兵庫県、近畿大会は姫路工が初優勝した。
迎えた1993(平成5)年の第75回兵庫大会。
初の決勝に進んだ姫路工を相手に、前年の選抜大会8強メンバーが残る育英が私学の意地を見せた。
息詰まる投手戦となった大一番。
後に近鉄などで1865安打を放った育英・大村直之が「足」で攻めた。
両校無得点で迎えた八回、先頭打者で二塁打を放った大村を犠打で三塁に進め、
渡辺順之の二ゴロの間に決勝点を奪った。
直前のスクイズ失敗も素早く帰塁し、強い打球の内野ゴロで迷わず本塁を突いた
大村のセンスが3年ぶり5度目の栄冠を引き寄せた。
甲子園では今も残る30犠打の大会最多記録をマークするなど機動力を駆使し、
兵庫勢としては12年ぶりの頂点に立った育英。
当時の主将、安田聖寛が2012年から母校を率いる。
神戸新聞 大原篤也氏
兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)
兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979)
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第62回大会(1980年)
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第63回大会(1981年)
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第70回大会(1988年)
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第72回大会(1990年)
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第73回大会(1991年)
第74回大会(1992年)
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