白球回想 夏の兵庫大会史
兵庫球児100年のあしあと 16
32、33年の明石中黄金期から17年ぶりに明石が甲子園へ!
その立役者となった溝畑選手は82歳まで選手としてプレーされたそう。
「野球は人生そのもの」
野球をこよなく愛された人生に感動する。
明石の試合は何度か観戦したが、どこかの球場で溝畑氏とすれ違ったかも?
しれないな・・・。
第32回大会(1950年)
~明石再興 溝畑が完全試合~
第32回大会で優勝した明石の溝畑圭一郎(左)と新納啓蔵のバッテリー(溝畑さん提供)
愛知・中京商との球史に残る延長二十五回の死闘から17年。
1950(昭和25)年の第32回大会で、古豪・明石が夏の甲子園に帰ってきた。
25回大会を完投した中田武雄と同じ下級生左腕の溝畑圭一郎がエースを勤めた。
350球の投げ込みに遠投に走り込み。
球の切れと制球力を培い、シュートも得意だった。
兵庫大会の準々決勝では灘を相手に15奪三振で完全試合を達成。
決勝は桝重 正(元巨人)らを擁する兵庫工を6-2で下した。
戦争の影響が残り、用具もなかった時代。
「延長二十五回」のメンバー、横内 明からもらったグラブで試合に臨んだという。
卒業後は神戸製鋼で54年の都市対抗初出場に貢献した。
引退後も白球に触れ、82歳までソフトボールチームでプレー。
85歳の今、つくづく感じる「野球は人生そのものでした」
神戸新聞 山本 哲志氏
兵庫球児100年のあしあと 1
激闘の譜 第100回へつなぐ
第1回大会(1915年)
兵庫球児100年のあしあと 2
第2回~9回大会(1916~1923年)
兵庫球児100年のあしあと 3
第10回~13回大会(1924~27年)
兵庫球児100年のあしあと 4
第14回大会(1928年)
第15回大会(1929年)
兵庫球児100年のあしあと 5
第16回大会(1930年)
兵庫球児100年のあしあと 6
第17回大会(1931年)
兵庫球児100年のあしあと 7
第18回~20回大会(1932~34年)
兵庫球児100年のあしあと 8
第21回大会(1935年)
第22回大会(1936年)
兵庫球児100年のあしあと 9
第23回大会(1937年)
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第24回大会(1938年)
兵庫球児100年のあしあと 11
第25回大会(1939年)
兵庫球児100年のあしあと 12
第26回大会(1940年)
兵庫球児100年のあしあと 13
第27回大会(1941年)
兵庫球児100年のあしあと 14
第28回大会(1946年)
第29回大会(1947年)
兵庫球児100年のあしあと 15
第30回大会(1948年)
第31回大会(1949年)
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