白球回想 夏の兵庫大会史
兵庫球児100年のあしあと 3では、今も破られていない兵庫大会4連覇の大記録を生んだ第一神港商球児たちの登場。
両チーム・・・両軍、選手・・・戦士と呼ばれていた時代
時代は大正から昭和へ・・・
甲子園の大観衆を沸かせたホームランバッターに想いを馳せる。
兵庫球児100年のあしあと 1 ~激闘の譜 第100回へつなぐ~ 第1回大会(1915年)
兵庫球児100年のあしあと 2 第2回~9回大会(1916~1923年)
第10回~13回大会(1924~27年)
~第一神港商 未倒の4連覇~
100回大会を迎える今夏も、この偉業が破られることはない。
1924(大正13)年の第10回大会から27年の第13回大会まで続いた第一神港商の兵庫大会4連覇だ。
「そりゃあ強かったでしょうなあ」
後身の市神港で野球部長を長く努めた田上信夫さん(88)は、戦前の懐かしい歴史に思いをはせる。
後にプロ野球で審判に転じて野球殿堂入りした二出川延明が礎を築くと、間もなく頭角を現した。
第10回大会は、前年全国制覇を成し遂げた甲陽中(現甲陽)を決勝で12-0と一蹴。
5試合で74得点という驚異の攻撃力で初優勝を果たした。
24年8月に誕生したばかりの甲子園球場に舞台を移した全国大会でも活躍。
初戦の早実戦で山下 実が特大の本塁打を放って「怪物」の異名をとった。
兵庫大会は第11回大会(1925年)も決勝で神戸二中(現兵庫)に10ー1で完勝。
第12回大会(26年)は関学中(現関学)との決勝を2-1で制し、
年号が大正から昭和に入って初の大会となった第13回大会(27年)は再び甲陽中に8-3で快勝した。
ただ、全国大会では毎年のように優勝候補に挙げられながらも、第11回大会のベスト4が最高成績だった。
強打者の山下 実は卒業後も慶大やプロ野球で活躍。
一つ下の後輩で、セ・リーグ初代審判部長を努めた島 秀之助とともに野球殿堂入りしている。
野球部の部長時代、山下と何度か会ったことがあるという田上さんは
「立派すぎて顔もまともに見られなかった」と回想する。
第一神港商は夏の4連覇中、春も第2、3回の選抜大会に出場。
山下は第2回大会で大会2本塁打を放って個人賞に輝くなど、
抜群の長打力で完成間もない甲子園球場を沸かせた。
神戸新聞 山本哲志氏