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兵庫球児100年のあしあと 4 

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白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 4では、第14回(1928年)全国大会初優勝メンバー監督率いる甲陽中が5年ぶりに、

第15回(1929年)では選抜前年優勝校 関学が9年ぶりに兵庫の頂点に。

満州や朝鮮代表チームが参加していた時代、この頃に日本の選手がアメリカ遠征を行っていたというのは驚きだった。


第14回大会(1928年)~甲陽中 延長制し聖地へ~

1928(昭和3)年の第14回大会は、甲陽中(現甲陽)が全国大会初出場初優勝を果たした

第9回大会以来となる2度目の優勝。

神戸二中(現兵庫)との決勝は延長十回に勝ち越し、4-3で競り勝った。


全国大会初戦で甲陽中が延長11回の末、大連商の破った試合を伝える
1928年8月13日付の神戸新聞紙面


当時、甲陽中の校舎は甲子園球場のそばにあり、現在の「ホテルヒューイット甲子園」が学校跡地にあたる。

78年に西宮市の苦楽園地区に移転するまで、最も聖地に近いチームだった。


28年の全国大会は満州代表の大連商、朝鮮代表の京城中を破ったが、

準々決勝で京都・平安中に惜負した。

同窓会報「甲陽だより」などによると、監督を務めたのは、

23年に全国優勝を遂げたチームの1番打者だった山野井万。

41年まで母校を指揮し、甲子園に春7回、夏3回の計10回の出場を果たした名監督だった。


第15回大会当時のスコアーボード(兵庫県高校野球五十年史より)


第15回大会(1929年)~関学中 昭和初期に隆盛

第15回大会(1929年)の頂点に立ったのは、前年の第5回選抜大会を制するなど、

全国有数の強豪にのし上がっていた関学中(現関学)

選抜優勝後の28年夏は主力選手が米国遠征していたため、県大会2回戦で敗退したが、

29年は決勝で神戸一中(現神戸)に7-4で勝利。

日本一に輝いた第6回大会以来、9年ぶりに兵庫を制した。


選抜優勝メンバーの村井竹之助は「兵庫県高校野球五十年史」の中でこう語っている。

「甲子園球場は毎日曜日に名古屋、四国、中国から優勝チームを呼んで(中略)

私の4、5年生のときはここで数多くの試合を経験した」


甲子園のお膝元である地の利を生かして、本番の舞台で全国の強豪と実践を重ねた関学中。

昭和初期の中等学校野球で一時代を築いた。


神戸新聞 山本哲志氏



甲陽中 山野井万監督さんが指揮した13年のうちに春、夏合わせてといえ10回の出場は

現代と参加校数自体は大きく違うだろうけど本当凄いことですね。

そんなチームが現代に現れるところを観てみたい。

大好きな関学の新月が甲子園で輝くところもまた観たい。

兵庫のチームにあてたこんな言葉をよく耳にする・・・「近くて遠い甲子園」

この頃の甲陽中や神戸一中、二中、3連覇の関学中、4連覇の第一神港商

・・・「近くて近い甲子園」だったんだなぁ。


兵庫球児100年のあしあと 1

激闘の譜 第100回へつなぐ
第1回大会(1915年)
~神戸二中 逆転で初代王者~

兵庫球児100年のあしあと 2

第2回~9回大会(1916~1923年)
~第2~4回 関学中3連覇~
~第5回 神戸一中 初の全国制覇~

兵庫球児100年のあしあと 3

第10回~13回大会(1924~27年)
~第一神港商 未倒の4連覇~


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