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雪下出麦

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雪下出麦  ゆきわたりてむぎいずると読む。

寒い冬、厚い雪の下で春を待つ麦は、ひっそりと芽吹いているという意味を持つ。

正に、春に向かって頑張っている球児たちを重ねた。

 

大阪紙面のコラム『内田雅也の追球』の著者 内田雅也氏は

毎年、元日に甲子園球場で初日の出を見られ、

今年の元日、三塁アルプススタンドから昇りかけた初日の出をご覧になられ、

雪下出麦の意味に重ね、「元日 甲子園の誓いと祈り」(スポニチアネックス)と題され

私が心動かされた方々の言葉を用いてれてご心境を綴られておられるのを拝見し、

芽吹きを待つ球児たちへ読んで欲しいなと思いご紹介したいと思います。

静かな気持ちで今の自分を見つめることができると思います。

 

「元日 甲子園の誓いと祈り」スポニチアネックス記事より

【内田雅也の広角追球】

甲子園球場で初日の出を拝むようになって4年目になる。

今年も夜明け前に訪ねた。

まだ薄暗く、正面玄関前は「阪神甲子園球場」の真白な照明に照らされていた。

広場に1羽、白い羽に、ところどころ黒が交じったハトがいた。

酉(とり)年の白と黒である。

勝負をつかさどる鳥なのかもしれない。

午前7時、関係者出入り口で警備員の男性と新年のあいさつを交わし、

球場内に入った。エレベーターで4階の記者席に上がる。

例年同様、静かだった。物音のない世界である。

時折、海鳥が上空を横切る。

整地されたグラウンドが美しい。

厳かで清らかな淑気(しゅくき)が満ちていた。

阪神園芸のグラウンドキーパーたちが立てたのだろう。

マウンド上には注連(しめ)飾りがあった。

「しめ」は占めるの意味だという。

神が占有している場所を明らかにするための縄である。

確かに、甲子園球場には女神や魔物が棲(す)んでいる。


戦前は「東アルプス」と呼んだように、甲子園球場の朝日は三塁側アルプススタンドから昇る。

7時14分、その東の空が赤みがかってきた。

雲は切れている。

空は美しく初茜(はつあかね)に染まった。

そして、光が差した。御来光である。

午前7時17分、甲子園に初日の出が顔を出した。

黄金色の光が一塁側内野スタンドを照らし、輝いている。

その神々しさに感慨深く、祈らずにはいられない。

日本野球の聖地と言われる甲子園である。

本拠地とする阪神タイガースはもちろん、春夏に熱闘が展開される高校野球、

そしてすべての野球人の幸運と球運を祈った。

風はないが、空気は冷たかった。

球春は遠く、季節は七十二候の「雪下出麦」。「ゆきわたりてむぎいずる」と読む。

寒い冬、厚い雪の下で春を待つ麦は、ひっそりと芽吹いている。


年末12月30日、89歳で逝ったノートルダム清心学園(岡山市)理事長

渡辺和子さんの著書『置かれた場合で咲きなさい』(幻冬舎)に

<どうしても咲けない時もあります>とあった。

<雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。

その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。

次に咲く花が、より大きく美しいものとなるために>

興南高校監督・我喜屋優さんは2010年のセンバツで初優勝した翌日、

朝の散歩で部員たちに告げたそうだ。

「これまでやってきた、小さなことの積み重ねを忘れてはいけない。

今日から、次の花を咲かせるための根っこづくりをしていこう」

著書『逆境を生き抜く力』(WAVE出版)にある。

<どんなに美しい花も、いつか必ず散るときがくる。

そして散った花は元には戻らない。

けれども根っこをちゃんと育てていけば、きっとまた美しい花が咲く>。

同年夏も優勝し、春夏連覇を達成した。

人生には苦しく、辛いことも多い。そんな時も小さな努力を重ねていきたい。

雨や嵐や日照りの日ばかりではない。

こんなにも美しく、希望に満ちた光景に出会える。


もう幾度も書いてきたが、野球は人生に似る。

大阪紙面のコラム『内田雅也の追球』はおかげさまで11年目を迎える。

元日の甲子園で誓いを新たにした。(編集委員)

◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963年2月、和歌山市生まれ。

小学校卒業文集『21世紀のぼくたち』で「野球の記者をしている」と書いた。

桐蔭高(旧制和歌山中)時代は怪腕。慶大卒。

85年入社から野球担当一筋。

2007年から大阪紙面でコラム『内田雅也の追球』を担当。 


野球を学ぼう^^/ ~兵庫県高校野球連盟「高校野球のマナーとルール」 第72回

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昨夏、プロ野球界ではコリジョンルールが適用され注目を集めましたが、

今季新たに、野手と走者の接触、怪我の防止のため、アマチュア野球内規にもある

危険なスライディングを禁止する規則が適用されるとのことです。

「プロ野球 走者の危険なスライディングを禁止へ」


高校球児のみなさんは、高校野球では公認野球規則とアマチュア野球内規、

そして高校野球だけで適用されている「高校野球特別規則」からルールが設定されているのをご存知ですか?

新たな規則の設定や改訂が行われていることがありますので

知らなかった・・・とならないよう確認する必要がありますね。

ルールが変更になる度に選手は頭と身体の切り替え、対応が必要になるわけですが、

ルール・マナーを守りより安全に、そして長く大好きな野球をして欲しいなと思います。

兵庫県高校野球連盟「高校野球のマナーとルール」が更新されていますので確認して下さいね。

第72回
マナー編  捕手のファウルカップ
ルール編  一塁手の触塁プレイ

過去のマナーとルールについて、どんな内容かを一覧にした「タイトル一覧」も掲載されているので

今一度、確認してみて下さい。

「高校野球のマナーとルールを学ぼう!」 click「タイトル一覧」


アマチュア野球内規(2016年)
危険防止(ラフプレイ禁止)ルール

本規則の趣旨は、フェアプレイの精神に則り、プレーヤーの安全を確保するため、攻撃
側のプレーヤーが野手の落球を誘おうとして、あるいは触塁しようとして、意図的に野手
に体当たりあるいは乱暴に接触することを禁止するものである。
1.タッグプレイのとき、野手がボールを明らかに保持している場合、走者は(たとえ
走路上であっても)野手を避ける、あるいは減速するなどして野手との接触を回避し
なければならない。審判員は、
1)野手との接触が避けられた
2)走者は野手の落球を誘おうとしていた
3)野手の落球を誘うため乱暴に接触した
と審判員が判断すれば、その行為は故意とみなされ、たとえ野手がその接触によって落
球しても、走者にはアウトが宣告される。ただちにボールデッドとなり、他の走者は妨
害発生時に占有していた塁に戻る。なお、走者の行為が極めて悪質な場合は、走者は試
合から除かれる場合もある。(規則6.01i(1))
2.次の場合には、たとえ身体の一部が塁に向かっていたとしても、走者には妨害が宣
告される。
(1)走者が、ベースパスから外れて野手に向かって滑ったり、または走ったりして野
手の守備を妨げた場合(接触したかどうかを問わない)。
《走者は、まっすぐベースに向かって滑らなければならない、つまり走者の身体
全体(足、脚、腰および腕)が塁間の走者の走路(ベースパス)内に留まることが
必要である。ただし、走者が、野手から離れる方向へ滑ったり、走ったりすること
が、野手との接触または野手のプレイの妨げになることを避けるためであれば、
それは許される。》
(2)走者が体を野手にぶつけたりして、野手の守備を妨害した場合。
(3)走者のスライディングの足が、立っている野手の膝より上に接触した場合および
走者がスパイクの刃を立てて野手に向かってスライディングした場合。
(4)走者がいずれかの足で野手を払うか、蹴った場合。
(5)たとえ野手がプレイを完成させるための送球を企てていなくても、走者がイリー
ガリーに野手に向かってスライドしたり、接触したりした場合。
ペナルティ(1)~(5)
1)フォースプレイのときの0
ノー
アウトまたは1アウトの場合、妨害した走者と、打者
走者にアウトが宣告される。すでにアウトになった走者が妨害した場合も、打者
走者にアウトが宣告される。ただちにボールデッドとなり、他の走者は進塁でき
ない。
2)フォースプレイのときの2アウトの場合、妨害をした走者にアウトが宣告され、
ただちにボールデッドとなり、他の走者は進塁できない。
3)タッグプレイの場合、妨害をした走者にアウトが宣告され、ただちにボールデッ
ドとなり、他の走者は妨害発生時に占有していた塁に戻る。
4)走者のスライディングが極めて悪質な場合は、走者は試合から除かれる場合も
ある。(規則5.09b(3)、規則6.01i(1))
3.タッグプレイのとき、捕手または野手が、明らかにボールを持たずに塁線上および
塁上に位置して、走者の走路をふさいだ場合は、オブストラクションが厳格に適用さ
れる。
なお、捕手または野手が、たとえボールを保持していても、故意に足を塁線上また
は塁上に置いたり、または脚を横倒しにするなどして塁線上または塁上に置いたり
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して、走者の走路をふさぐ行為は、大変危険な行為であるから禁止する。同様の行為
で送球を待つことも禁止する。このような行為が繰り返されたら、その選手は試合か
ら除かれる場合もある。
ペナルティ
捕手または野手がボールを保持していて、上記の行為で走者の走路をふさいだ場
合、正規にタッグされればその走者はアウトになるが、審判員は捕手または野手に
警告を発する。走者が故意または意図的に乱暴に捕手または野手に接触し、そのた
めたとえ捕手または野手が落球しても、その走者にはアウトが宣告される。ただち
にボールデッドとなり、他の走者は妨害発生時に占有していた塁に戻る。

22年目の穏やかな朝

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阪神淡路大震災から22年目、穏やかな朝を迎えることができました。

今日という日・・・

自分や息子は、あの日があったから今が無かったかもしれない・・・

あの日があったから今がある。

穏やかに暮らすことができている毎日に感謝し、

犠牲になられた方々を静かに偲ぶ日であります。

あの日から22年、22歳になった息子は今年も自分が生まれた地

長田の追悼のつどい「ともそう!『希望の灯り・ながた』」でボランティアをさせて戴いています。

昨年よりひとつ歳を重ね、感じること思うことも、またひとつ重ねたのではないかと思います。

6434名の尊い命へ、心よりご冥福をお祈り致します。

野球教室

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昨日は、村野工業野球部の選手たちと未来の高校球児たちによる野球教室を見学させて戴きました。

参加されたのはTAKASHO DRAGONS、駒ケ林少年団野球部、舞子ウルフの球児たち。

午前中に行われた3チームによる試合中、一時中断するくらいのゲリラあられが降り

極寒のグラウンドでの試合、野球教室でしたが、ちびっ子球児たちは寒さもよそに元気いっぱい!

お兄さん球児にすぐとけ込んで、いい笑顔でみんな野球をしていました。

学童球児の写真を撮るのは一年ぶりで、試合も少し撮影しましたが、

高校球児とは違う動きをするちびっ子球児たちの撮影は久しぶりだったのでとても難しく感じました。

でもファインダーを覗くと、あの無心な目、表情が可愛すぎて寒さも忘れて追いかけてしまいました。

ここには少ししかアップできないですが、一所懸命野球に向かう小さな球児たちを見て戴けたら嬉しいです。

でも~今日は大事な作業があり、写真の入ったハードディスクを別のパソコンに繋いでしまって今使えません><;

子供たちの素敵な笑顔は写真が整理できないので明日アップしますので

改めて、選手たちのいい笑顔を合わせて見て戴けたら嬉しいです

今日は野球教室の様子を書きたいと思います。


お昼からは村工選手たちがコーチとなり野球教室が行われました。

初めて会う選手同士ですが、野球が繋ぐものって凄いですね。

子供たちはお兄さん球児たちにすぐとけ込んで、とても楽しそうに野球を教えてもらっていました。

野球教室開始まで駒ケ林少年団の選手たちとの鬼ごっこ走では、

お兄さん球児たちもハァ~しんど~って言うほど、ちびっ子球児たち走りまくりほんと楽しそう。

いずれ高校球児となるだろうこの選手たちの誰かが、

この村工グラウンドで野球をしてるかもしれないなぁ~なんて思うと

見ていてそれだけでほのぼの笑顔になれました。

その後、タイヤを押したり走ったりトレーニングをするチーム、

高校球児コーチにバットの振り方を教えてもらったり、トスを上げてもらいバッティング練習するチーム、

ゴロの捕球の仕方などを練習する守備練習チーム、

村野工業野球部 新ムードメーカー役職の「熱男」こと志水選手たちによる

ノックを受けるチームに分かれて練習が始まりました。


普段練習や試合などでは見ることができない選手たちの姿があり、

子供たちに野球を初めて教える選手も居たと思いますが、

指導する様子にもその選手の性格も垣間見れて、

この選手はこんな性格なんだな~と新しい発見もたくさんありました。

3チームの選手たちが各練習を体験して、アッという間に終わりの時間がやってきました。

体験教室の最後は、いつの時代の球児たちも盛り上がりをみせるベーラン競争をしました。

高校球児vs未来の高校球児3チームの選手

現役高校球児だし負けるわけない???ですよね~

「絶対負けられん!」と気合いいっぱいに選び抜かれた瞬足???の選抜メンバーで挑みます。

高校球児は学童球児たちより大回りにベース外のコーンを周ります。

1回戦 スタート!

田口選手いい感じ?にすべり出し!学童球児たちいい感じのリードで繋ぎます。

2周目 早くも「負けるってー!」の声が。

3周目 前田選手リーチを生かし差を縮めます。

4周目 山本選手 わざと?バトンを落とし学童球児たちにリードとやる気を与えます。笑

5周目 西川選手 その差半周

6周目 チーム1瞬足の南谷選手がワンベースまで縮めました!

7周目 さぁ~ 一柳選手はリードを「広げ」られるか? 

8周目 東崎選手 お約束のバトン落下 掴みはオッケーでした

9周目 応援は力に変わる!高倉選手速い!!

10周目 小滝選手マジ走り~!さすがの走りで半ベースまで詰め寄りました!

11周目 「熱男」の登場です!加速が凄い!その差ベース3/2

12周目 我らがエース道才投手 マウンドでは見たことのない焦りでバトン3度目落下

13周目 奈良選手 滑るの大好き!笑 4度目バトン落下で高校球児チームに焦りが

14周目 米川選手が1ベースに取り返し、ベンチ「熱男」が加熱し始めます

15周目 アンカー余田選手 打席の粘り発揮!ベース3/1まで追い上げますが

珍事件 ちびっ子球児の懸命な走りに高校球児まさかの惨敗

潔く負けを認め再戦をお願いする高校球児に余裕の表情のちびっ子たち おもしろい



更に盛り上がりをみせた2回戦!

 リベンジマッチでは、一柳選手に替り代走宮脇選手、高倉選手に替り川原選手、

小滝選手に替り1番の注目を浴びた田中選手の登場!

熱い男は盛り上げ方を知ってる男~さすがやね!

でも最初からマジ走り トップスピードで追い抜かす!笑

子供たち どっの味方か分からない状態に一緒に盛り上がってましたよ

道才投手は肩を壊すと困るのでお休み~小滝選手がカバー

ラストランで貫禄の気合走!

米川選手 ナイスなスライディングパフォーマンス!

アンカー余田選手も、ちびっ子球児が憧れるナイススライディングを魅せ

もう一人スライディング走ランナーが居たら確実二連敗だった?だろう?ほぼ同着勝利

・・・と、笑いの絶えないベーラン対決でした。



子供たちがとても楽しそうで、初めて会った野球人同士が、野球でひとつになれる姿に

野球ってやっぱり楽しい!野球っていいな~って思いました。

楽しかった野球教室も、そろそろ終了の時間です。

選手みんなで今日の日を忘れないために一枚の写真を撮らせて戴きました。

今日1日の締めは、やはり1番目立たなくては~

肩を大事にしないといけないエース道才投手の肩の上で

誰より満面の笑みを浮かべる熱男が雄叫びを上げ

全球児の心がひとつになり、素晴らしい野球教室の締めくくりとなりました。

熱男 キミはさすがだ~ワライ!

短い時間でしたが、子供たちの本当素敵な笑顔と、選手たちの意外な一面もみられた

貴重な時間を過ごさせて戴くことができました。


最後になりましたが、何より寒さが嫌いな私が、極寒のグラウンドで震えながら見ていると

西田選手が「温かいコーヒーをどうぞ」と、わざわざサポートの手を止めて

私のために入れてくれ運んで来てくれたこと・・・本当感動しました。

その心遣いに、心と冷え切った身体も温まり、子供たちや選手たちの笑顔に触れ

気持ち満ちた1日を過ごすことができました。

TAKASHO DRAGONS、駒ケ林少年団野球部、舞子ウルフの選手のみなさん、

村野工業の選手のみなさん ありがとう。

西田選手 ありがとね!

寒さ更に厳しくなる2月、くれぐれも怪我のないよう練習頑張って下さい。

そして、野球教室にお誘い下さった河野監督さん ありがとうございます。

村工選手のみなさんには、3月の対外試合解禁楽しみに

私はもう少し静かにその時を待ち冬眠したいと思います

野球教室 Prrt 2 album

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野球が苦しい辛いものになってはダメ。

野球ができることを楽しい!と思える野球でなければダメ。


選手の心を育てる野球・・・

繋げていく野球・・・

子供たちが野球って楽しいね!と心を笑顔にして向き合える環境作り、

教えることって楽しいね!と未来の指導者を育てる環境作りは大人がしないとダメ。

そう感じた素晴らしい野球教室に参加させて戴いたことに感謝です。

また来年も、未来の高校球児たちの野球楽しいー!って笑顔を記憶しに行きたい。

click 野球教室の様子はこちらからご覧下さいね。





















































































































































村野工業野球部 野球教室 Part 3 続~album~

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click 神戸村野工業野球部 野球教室

click 神戸村野工業野球部 野球教室 Part2 album

ご関係者の皆様へ・・・

clickmy photo album2
に保存しています。


野球教室Part2でアップしきれなかった写真です。

今回の野球教室で何人か目に止まった選手がいたのですが、

子供たちの目線に姿勢を低くして話しかけたり、教えたり

言葉だけじゃなく、子供たちに触れて手取り足取り指導している選手、

走り遅れたちびっ子選手にスピードを落として並んで走ってあげる選手も居ました。

そうするようにと言われたのではないと思います。

子供たちに触れ合って自然とそういう向き合い方ができていることが素晴らしいなと思いました。

集合写真が1番難しいですね。

誰か一人二人あっち向いてて、たくさん撮ろうとするとだんだん笑顔が減っていく・・・

集合写真は3枚が限界ということを勉強しました。

冬練習真っ最中の選手たちとって、笑顔で野球に向かうのは久しぶりだったんじゃないかなと思います。

良い機会、良い時間、良い野球教室でしたね。

野球教室、ずっと続くといいですね。

色んなチームで行われたらいいなと思います。













































































































































































第99回 全国高校野球選手権大会 キャッチフレーズ「じぶん史上、最高の夏」

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「じぶん史上、最高の夏」

今日、もうすぐ春甲子園出場校が発表になりますが、

春を前に今夏選手権のキャッチフレーズが決まりましたので

2017 夏☆甲子園カテゴリーを増やしました。

またこのカテゴリーに、どんな夏を書けるのか・・・とても楽しみです。

全国5015点の応募から、兵庫県神戸国際大附属高校1年生

宇陽大空(うようそら)さんの作品がグランプリを受賞されました。

三年生は特に、この夏のために2年半たくさんの努力を重ねて来られ、

最後の夏、自分が今までやってきたことをこの夏の舞台で披露する時。

そんな選手たちの姿に良く似合う素晴らしいキャッチフレーズが選ばれたと思います。

優秀賞のキャッチフレーズもとてもいいなと思いました。

個人的には、千田智聖さん(広島・呉市立呉高2年) 「染めあげろ、君色の夏。」

中村藍さん(博多女子高2年) 「かかげたこの手、想いはひとつ」

中村光樹(大阪桐蔭高2年) 「夏いっぱい、夢いっぱい。」もいいなぁと思いました。

優秀賞を受賞された方々のキャッチフレーズです。


内倉彩希さん(聖園女学院高1年) 「僕らの本気、ぶつけます。」

黒木綺音(桜花学園高1年) 「全部ここに持ってきた。」

中村光樹(大阪桐蔭高2年) 「夏いっぱい、夢いっぱい。」

畠朱里(大阪市立南高3年) 「胸アツ甲子園!」

延藤新(岡山県立岡山工業高2年) 「全ての思いを、夏に込めて」

千田智聖(広島・呉市立呉高2年) 「染めあげろ、君色の夏。」

中村藍(博多女子高2年) 「かかげたこの手、想いはひとつ」

武次華奈(長崎女子高1年) 「夏が僕らを強くする」

坂下真郷(宮崎県立都城工業高2年) 「夏が君を強くする。」

国吉利奈(沖縄県立那覇商業高1年) 「僕らが変える、夏の歴史」


また来夏、選手権大会100回大会には、深紅の大優勝旗と

地方大会の優勝旗がリニューアルされるそうです。

大優勝旗の初代は1915年(大正4年)1回大会に合わせて作られ、

2代目は第40回記念大会(昭和58年)に新調されました。

今夏を最後に第99回選手選手権大会で2代目の優勝旗を手にするのはどのチームなのか・・・

100回大会節目の年に60年ぶりにリニューアルされる深紅の大優勝旗を

どのチームが掴むのか・・・今からとても楽しみです。

第89回 選抜甲子園 出場校☆彡

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今年も高校球児たちへ一足早い嬉しい春が届きました


選ばれた32校の選手のみなさん


甲子園出場おめでとう☆彡


春浜風の中、思い切り甲子園を楽しんで下さい。


第89回選抜高校野球大会 

対戦組み合わせ抽選 3月10日(金)

3月19日(日)開幕です!


昭和十七年の夏 幻の甲子園~戦時下の球児たち~

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高校野球の歴史の中で、全国高等学校野球選手権大会(当時の大会名称 全国中等学校優勝野球大会)が

戦争により昭和16年から20年5年間の空白があったことは知られていますが、

(大正7年第4回大会は米騒動により中止)

その空白の中に、全国高等学校野球選手権大会の回次には残らず、年譜にひっそりとだけ記載されている

「全国中等学校体育大会野球大会」という『幻の甲子園』と呼ばれる大会か存在していたことをご存知でしょうか。


年譜には・・・

1941年(第27回大会) 太平洋戦争の影響で地区予選の途中で中止ー1945年

1942年は、代わりに文部省主催で全国中等学校野球大会が開催されたが、

文部省の意向により全国高等学校野球選手権大会とは独立した大会とされ、通算記録にも数えられていない)

と記載だけが残っていて、この幻の甲子園での試合や、出場をした選手たちを取り巻く当時の環境や、

その後、その選手たちが辿った辛い道が書き綴られた、早坂 隆氏著書「幻の甲子園 戦時下の球児たち」という

一冊の著書の存在を知り取り寄せました。

戦時下にあったこの時代に生きた若者や人々の生きた証が詰まっており、大変興味深く、また胸詰まる想いで読ませて戴きました。

戦争については、その時代を経験したことがない今を生きる私たちにとっては現実のことと思えない悲惨で無残な・・・

出来事と言葉に表すのも躊躇してしまう時代ですが、そんな時代の中で野球が大好きな少年たちが

甲子園出場を夢に一生懸命野球に向う姿は今と変わらずに在り、今と変わらず多くの方々が

高校球児を応援し温かく見守られておられたことが少しの救いでありました。

しかし、今では考えられないような過酷な中での「大好きな野球」だったことは言うまでもない時代で、

唯一の楽しみだった野球さえ取り上げてしまった戦争を憎むしかないとも言える内容でもありました。


この当時、戦争膠着(こうちゃく)状態の中、全国の鉄道では兵士や物資を輸送することが先決で、

学生生徒の居住地足止めという規定で、球児たちは二府県以上にまたがる移動を伴う試合を禁止されており、

当然、甲子園大会も中止の途に至り、昭和16年春の選抜は実施されたものの、

その夏の第27回大会は中止、社会人野球の都市対抗も同じ運命で中止、翌年の選抜も中止という状況だった。

昭和17年の夏、全国中等学校優勝野球大会の主催である朝日新聞社ではなく、

文部省と、前年16年末に発足された大日本学徒体育振興会野球委員主催による

第1回全国中等学校体育大会野球大会が行われることとなった。

最初で最後の1回限りとなったこの大会が「幻の甲子園」である。

幻の甲子園開催にあたり、この大会だけに作られた時代を想わせる厳しい規定の中での野球をする姿があり、

それでも球児たちは夢の甲子園の舞台で飛躍し、多くの人々は歓喜に沸いた様子が書かれてありました。

当時は現在とは違い、夏の甲子園出場代表校は各県1校ではなく、

今でいう秋春の大会と同じ要領で、各都道府県で行われる1次予選の優勝チームが

分けられた地区大会へ進出し優勝チームが甲子園へ出場できるという方法が取られていたそうです。

例年の大会では23校の代表による大会でしたが、幻の甲子園では地域割りの変更により、

2つの地区に分けられていた東北地区が1つの地区となったり、福島県は4校の予選出場、

東京府(当時の名称)は南関東地区に編入、信越地区は二分化、

東海地区の三重が近畿の予選へ入ったり、この大会へ出場した近畿地区の兵庫県滝川中学が

予選地区編成割りの変更で東中国地区の代表として出場しており、

沖縄は全島で野球部が解散となっていたため南九州地区での参加はゼロであったりと、

予選地区割りだけをみても大きく例年とは違うことに、時代により廃部に追い込まれ、

野球ができなくなった球児たちが多く居たことが伺えます。


また、以前読んだKANO 1931海の向こうの甲子園でも紹介したように、

当時日本の統治下であった朝鮮や台湾、満州などの外地からの参加もあった時代ですが、

朝鮮に至っては野球禁止案発令中で予選すら行われなかったそうで、唯一、台湾の台北工業が出場しています。

予選地区割りだけではなく、大会開催における色々な規定なども、その当時の例年でも

今を思えば考えられない厳しいものであったと思いますが、更に考えられないような

信じられない規定、幻の甲子園だけの新ルールの中での大会が行われたのです。

それはそれは考えられないもので、まず選手という呼び名からして違う。

選手たちは「選士」と呼ばれ、突撃精神に反することはいけないものとされ、

打者は投手の投球を避けてはいけない・・・

今ではわざと避けないと死球とはならず逆に注意されますよね・・・

先発メンバー同士の守備位置の変更は認めるが、ベンチ控え選手との交代は

立つことができない状態を例外とし、それ以外は認めない・・・

最後まで死力を尽くして戦えという意味をも持っていたそうで、

諦めない気持ちとは全く異なった意味合いを持つ無謀な規定?・・・

容姿にも厳しく、ユニホームの校名もローマ字は禁止、漢字表記にされ

当時はまだ定着していなかった背番号も勿論なく、対戦校もクジ運などは存在しない・・・

抽選ではなく大会本部が勝手に決める。

大会の回数継承は先に書いたように無く、優勝旗の使用も却下・・・

この大会へ近畿代表として出場をした第15回大会優勝校の和歌山県海草中学には

別物の大会であるため優勝旗自体を持って来る必要はないとの通達までがあったという「幻の甲子園」です。

現代ではこんなことを言おうものなら球界から追放されるのではないか?と思うような

やはり・・・時代がそうせざるおえなかった中で、幻であれ憧れの甲子園でプレイをすること、

野球ができることを喜んだ選手たちを想うと切なすぎますね。


球児たちがここまで経てきた道のりは、決して平坦なものではなかった。

予選参加校のだけを見れば、甲子園に出場することは、現在の球児たちの方が大変かもしれない。

しかし、戦時中に甲子園を目指して野球をすることは、今とは異なる類いの苦労が絶えなかった。


と著書の早坂氏が仰るように、戦時下で野球をすること自体に反発があった時代、

日々の練習にも信じられないその様子が綴られていました。


全国中等学校体育大会野球大会 『幻の甲子園』 出場16校

北海道代表 北海中学(北海道)
東北代表  仙台一中(宮城県)
北関東代表 水戸商業(茨城県)
南関東代表 京王商業(東京府)当時の名称
北陸代表  敦賀商業(福井県)
中部代表  松本商業(長野県)
東海代表  一宮中学(愛知県)
京滋代表  平安中学(京都府)
大阪代表  市岡中学(大阪府)
近畿代表  海草中学(和歌山県)
東中国代表 滝川中学(兵庫県)
西中国代表 広島商業(広島県)
四国代表  徳島商業(徳島県)
北九州代表 福岡工業(福岡県)
南九州代表 大分商業(大分県)
台湾代表  台北工業

全国中等学校体育大会野球大会は、文部省、大日本学徒体育振興会野球委員主催であったため、

大日本学徒体育振興大会の中の一競技であり、柔道、剣道、相撲、陸上、蹴球(サッカー)や、

戦場運動と称された「手榴弾投擲(とうてき)突撃」「土嚢(どのう)運搬縦走」「行軍競走」といった

それを体育振興、競技?と位置づけるのか・・・?というような9つの競技参加者による合同開会式が

昭和17年8月22日 奈良県橿原神宮外苑運動場で行われ、

翌23日には中等野球だけの開会式が甲子園球場で行われたそうです。

開会式の様子が一枚の写真に残されていますが、スタンドは大勢の観客で埋め尽くされていて、

選手たちだけではなく、多くの人々が大会復活、野球を楽しみにされておられたことを知ることができます。



この著書の驚くべきところは、上記に書いた時代背景や何とも苦しい内容がメインではなく、

当時の選手たちへの取材や、残されたスコアーや資料からでしょうか・・・

幻の甲子園 開幕戦から決勝戦までの全15試合の詳細な内容や、

選手たちの生い立ちや、大会後、選手たちの身に起こったことなどが丁寧に残されていることです。



よくここまで細かく残されたとビックリする内容で、試合に関しては戦時下の中であった野球を忘れるくらい

頭の中にランナーを置いたりして、思わずいつも球場で観戦する時のように

野球ノートへスコアーを書きながら読み進めてしまうくらいドキドキワクワクする試合ばかりで、

録画していてもなかなか全部の試合を観るのは大変ですが、一冊の中に一大会が凝縮されていて

スタンドで全試合を観たような気持ちになる貴重な著書との出会いでした。


開幕戦は、南関東代表 京王商業と、四国代表 徳島商業の一戦。

京王商業エース宮崎投手と徳島商業エース加藤投手との投手戦となり、

0-0 の7回、裏の徳島商業は4番笹川選手、6番角田選手への四球から

Wスチールで先制のチャンスを広げ、7番梅本選手のスクイズが失敗(捕手小フライ)になり

3塁ランナー笹川選手が帰塁できずWプレイとなり、更に投手戦の末0-0で延長戦へ。

10回表 京王商業5番宮崎投手がレフト線2ベースヒットを放つと、

6番秋元選手が先制のタイムリーを放ち均衡を破ります。

更に7、8番の連続ヒットで1死満塁とし、追加点を狙い京王商業もスクイズを決行する場面や、

その裏、高松商業の攻撃に京王商業の失策絡みで1死満塁、その後の結末など

その展開がおもしろすぎて、時代の背景があることを忘れるくらいでした。

その他、1回戦の対戦組み合わせは、

北関東代表 水戸商業ー東中国代表 滝川中学東

北陸代表 敦賀商業ー北九州代表 福岡工業

台湾代表  台北工業ー近畿代表  海草中学

北海道代表 北海中学ー西中国代表 広島商業

南九州代表 大分商業ー東北代表  仙台一中

東海代表  一宮中学ー中部代表  松本商業

大阪代表  市岡中学ー京滋代表  平安中学

2回戦の組み合わせを書いてしまうと勝者が分かってしまうので省略・・・

決勝も手に汗握る展開に・・・どのチームが戦ったのでしょう・・・

と言っても本の目次を見ると分かってしまうのですが。

ぜひ本を読んで幻の甲子園での選手たちの頑張りや「試合」を楽しんでもらいたいなと思います。


「海ゆかば」

海ゆかば

水漬く屍(かばね)

山ゆかば

草生す(くさむす)屍

大君の

辺にこそ死なめ

かえりみはぜし


閉会式で決勝を戦った両チームの選手たちが、スタンドの観客と共に唄った歌だそうです。

「海ゆかば」の歌詞の意味など、覗いてみて下さい。


大会後、優勝校には文部省からのぼりのような優勝旗が贈られたそうです。

先に書いたように、この大会は主催者が異なり、全国中等学校優勝野球大会(現 全国高等学校野球選手権大会)の正史には

記録されていないことから、この大会の優勝校のある県で、その後優勝したチームが県勢初優勝とされ、

大会中に出た偉大な記録も大会史には存在にない記録となっている。

翌年18年には第2回大会が明治神宮球場で開催される予定であったそうですが、

更に戦局が悪化し開催されることなく、その後もこの大会は二度と開かれず

「幻の甲子園」は「最後の甲子園」と記されてある。


時代の流れで道具や技術の進化はあっても、いつの時代にも

野球が好きだという選手たちの気持ちはだけは変わらず今もある。

だだ唯一違うのは・・・

夏が終わり、引退ライフがないことだ。

この時代の選手たちのその後の道は戦場・・・

時代の力によって、自分の意思ではなく、これが最後の野球になるかもしれないと、

そんな気持ちで野球をしていた選手たちが可哀想でならない。

今を生きられていたら、自分たちの時代の野球を懐かしく想いながら

今の野球や球児たちの姿に目を細められることだと思う。


その後の選手たちの身に起こったことなども詳細に残されており、

おわりに・・・では、甲子園球場が大正13年に完成した時に植栽された蔦にも触れられています。

平成12年二十世紀メモリアル事業として全国の高野連加盟校4170校に蔦の種が配布されたそうで、

平成19年に改修工事のために甲子園球場を覆っていたあの蔦は伐採されて今の蔦のない外壁になったのですが、

その時の蔦の種を育てた苗木から集め現在、その蔦が甲子園球場へ里帰りを実現し育っているそうです。

この幻の甲子園へ出場された選手の中には大正13年、甲子園球場が完成した年に生まれた選手も少なくないそうで、

甲子園の蔦と同い年ということになります。

一度は伐採された蔦ですが、再び甲子園へと戻り、


戦前から連なるこの蔦は、横風に時折、身を揺らしながら、新たな緑を萌やし続けている。

これからも、この国に夏が訪れるたび、若葉のような球児たちを迎え入れることであろう。

志半ばで散った命も少なくなかった。


8月15日の終戦の日の正午に行われる黙祷に、


かすみゆく夢の切れ端の足音に、耳を澄ませたい・・・と締めくくられている。

そして、甲子園が再び蔦に覆われる頃、大会は100回目を迎えるはずである。

それは、本当は101回目の夏の声だ・・・とも。


毎年夏の大会期間中に行われる終戦の日、戦争でお亡くなりになられた方々を偲び黙祷を捧げる時には、

ぜひ、戦争で犠牲となった選手たち、そしてこの幻の甲子園で頑張った球児たちのことも

そっと想ってあげてほしいなと思います。

貴重な記録(選手)との出逢いに感謝致します。

昭和十七年の夏 幻の甲子園―戦時下の球児たち



昔を書いた著書などは年号もたくさん並び、球児のみなさんには少し読み辛いかもしれませんが、

本は自分の知らない世界に行くことができるし、出逢ったことのない人にも出逢うことができます。

そして、日々忙しい毎日に、ふと無になれる貴重な時間です。

毎日10分でもいいので、スマホを触っているその10分を使って本を読む習慣を付けると良いですよ。


次は一緒に取り寄せた石丸投手の記憶を辿ってみたいと思います。

「戦火に散った投手 石丸進一 消えた春」


実はこの著書も随分前から手元にある一冊
少し読みましたが、やはりこの時代を読むには気持ちが進まずそのままに。
偉大な記録を持つ 嶋 清一投手の記憶もまた辿ってみたいと思います。

嶋清一 ―戦火に散った伝説の左腕

書の甲子園

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先週末、 世界の高校生が筆で競い合う書の甲子園「第25回国際高校生選抜書展」の入賞・入選表彰式が行われました。

20カ国、地域から1万6836点の応募の中から2100点が入賞、入選され

団体の部で地区優勝した10校が、今春の選抜甲子園出場32校と

昨年の準優勝校、高松商業のプラカード文字を担当し揮毫されます。

チームの先頭に立つプラカードの文字にも、ぜひ注目して入場行進を観てみて下さいね。


団体の部 優勝 大分高校

個人の部の最高賞「文部科学大臣賞」 大分高校3年生 谷口美帆さん、広島県立尾道北高校3年生 中田萌々乃さん

海外部門の最高賞「外務大臣賞」 千葉県立成田国際高校2年生 レオナルド・エバマンさん


毎日新聞記事に表彰式の様子や受賞されたみなさんの書の動画がアップされています。

「書の甲子園」表彰式


選抜甲子園出場校プラカード揮毫担当

札幌北(北海道) 札幌第一、盛岡大付、不来方

仙台育英(宮城) 仙台育英、作新学院、呉

県川口(埼玉)  前橋育英、健大高崎、宇部鴻城

袖ケ浦(千葉)  東海大市原望洋、早稲田実、日大三

桐陽(静岡)   静岡、高田商、智弁学園

鶴城丘(愛知)  至学館、高岡商、福井工大福井

伊吹(滋賀)   滋賀学園、大阪桐蔭、履正社

倉敷商(岡山)  報徳学園、神戸国際大付、創志学園

伊予(愛媛)   帝京第五、明徳義塾、中村、高松商

大分(大分)   東海大福岡、福岡大大濠、熊本工、秀岳館

書の甲子園

毎日新聞記事

新たな夢へ向かって☆彡 釜石高校野球部エース岩間 大投手

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昨春の選抜甲子園に21世紀枠で出場した釜石高校野球部のエース 岩間投手の新たな夢が

日刊スポーツ記事に掲載されていました。


第88回 選抜甲子園では21世紀枠同士、小豆島との1回戦 

粘り強い投球で1失点完投勝利を挙げた一戦は記憶に新しいですが、

その後、夏の岩手県大会2回戦 一関学院戦で延長13回を戦い、

再び甲子園のマウンドへ帰ることはできませんでした。

負けた悔しさはあるけれど、今まで野球をやってきて1番楽しかった試合だった、

甲子園でもう1度投げたい!それが自分の原動力だったと、

甲子園が岩間投手へ与えてくれた力はどれほど大きいものだったか、その言葉に尽きるように思います。


東日本大震災で、岩間投手のお母様は津波で流され今も行方が分かりません。

大変気持ち苦しい中での選抜甲子園、最後の夏だったと思いますが、

母への想いを胸に高校野球を全うされたこと本当に素晴らしいと思います。

監督さんや仲間、周りの方々、そして母への想いに支えたれた高校野球だったことでしょう。

岩間投手は中大へ進学されるそうですが、肘の怪我もあり大学では軟式野球サークルで活動されるそうです。

卒業後は高校教師になり、自分が監督として甲子園へ行くという、

新たな大きな夢も甲子園という場所が与えてくれたようです。

甲子園・・・

実際に行ったことで、球児が甲子園を目指す理由が明確に分かった。

行く前はパッとイメージできなかったけど、いざ行ってみると輝いて見えた。

言葉にするのは難しいけど、甲子園には夢がある。

甲子園をきっかけに、やればできるということが分かった。

できる、できないじゃなくて、やるか、やらないかでやり続ければ、いつかはできる時がくる。

何事にもどんどん挑戦する気持ちを強く持って、今後も頑張っていきたい。

と、言葉を残されています。

経験した者だから分かること、夢だった甲子園へ立った者でないと感じられない輝きと感動だと思います。

今度は監督さんとして、多くの球児たちにその輝きと感動をみせてあげてもらいたいですね。

岩間投手の新たな夢の実現を願って、その時を楽しみにしたいと思います。

頑張って下さい。

2016年 選抜甲子園、夏の一関学院戦での動画が残っていたので、

岩間投手の高校野球を覗いて戴けたらと思います。






日刊スポーツ記事
釜石エース岩間、第一線離れるも夢は監督で甲子園

Hyogo Nine 2017早春号 予約開始♪

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毎回、 楽しみにしているHyogoNine

2017年春号の予約が開始しましたよ♪

表紙は神戸国際大附属の選手たちかな。

国際、報徳の選抜も楽しみ。

対外試合解禁も間近、春季大会も楽しみ。

もうすぐ球児たちの春がやってきますよ~

  HyogoNine ー兵庫の野球と人マガジン No.5 2017早春号  あさぎり出版  2017年2月24日発売
HyogoNineは、Amazonストアで予約、購入できます。

20の・・・ありがとう

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今日は、村野工業高校野球部3年生選手の卒業式と卒部試合が行われグラウンドへお邪魔させていただきました。

先々週行われる予定の卒部式でしたが、あいにくの雨で順延となり、

今日の卒業式を待って行われ、当初は全員が揃えなかった状況でしたので、

今日は20人全員が揃い、笑顔で高校野球を締め括ることができ本当に良かったと思います。


村野工業3年生選手たちには、たくさんの素敵な時間を共有させていただけたことに本当感謝致します。

3年選手のみなさんにとっては、突然現れた私の一方的な応援というものに、

練習の邪魔などもしてしまい本当申し訳ないなという気持ちもいっぱいあります。

でも、一昨年から兵庫のチームの中で1番身近に、1番たくさんの練習や試合も観せていただいたチームで、

観る度に自分の中で想いも大きくなり、夏の終わりもなかなか受け入れることができなかったチームでもあり、

ほんの少ししか観れていないのですが、みなさんの高校野球を応援させて戴いて

何か形に残せたらと思い、卒業卒部の記念にビデオを作りました。

厳しく辛いことの方が多かった高校野球だったかもしれないですが、10年後、20年後・・・

ずっとずっと先に、この時の自分を見返して、この時が素晴らしい瞬間だったことを感じて戴けたら・・・

ビデオの中には、ひよどりグラウンドにある四季も入れてみました。

現役時代、そのグラウンドにあった四季の草花にも気付かないくらい日々を頑張っていたと思うのですが、

これからそれぞれに進む道では、高校野球以上に厳しい社会での出来事を体験するかもしれません。

今までは仲間が居て、愚痴を言い合ったり、慰め合ったり乗り越えてきたことも

一人で悩み、今までのように簡単には前へ進めないこともあるかもしれません。

今日、河野監督さんが最後にみなさんに掛けられた言葉のように、

そんな時は一人で悩まず、このグラウンドに帰ってきて欲しいなと思います。

みなさんが気付かなかったグラウンドの四季の草花を見て、このグラウンドで夢に立ち向かった日々を思い出し、

こんなに頑張れた時があったんだった・・・と、また今も、もう一歩頑張ってみようと思って戴けたら嬉しいなと思います。

ビデオの中に、夏の2得点目、市村選手のタイムリーが出た時のスタンドから、

声からすると濱中選手のお父さんかな?・・・

「ここから!ここから!」って声が聞こえたかと思います。

曲に選んだ「スタートライン」も、あの時を振り返る、残す・・・という意味だけではなく

ここから!・・・

高校野球を終えて見えたこともたくさんあると思うし、みなさんの人生・・・

それを土台にし、ここから・・・なんですよね。

おっと!

またここで語り出すと長~~~くなりそうなのでこの辺りで

最後になりますが、みなさんがこれから進まれるそれぞれの道で、

またこの時のように一所懸命何かに頑張る姿を見せることが、

今まで誰より自分を支えて下さったご両親、そして河野監督さんや先生方に

何よりの恩返しだと思いますので、これからも夢や目標を持って

何事も一所懸命に頑張って欲しいなと思います。


どのチームより1番近くで応援させて戴き、思い出深い時を過ごさせて戴いた事への感謝の気持ちと、

村工3年生選手たちが笑顔溢れる未来であるように・・・

色々な想いと、色々なメッセージを込めて作りました。

何かを感じて戴けたなら嬉しいなと思います。

ありがとうの気持ちを込め、選手のみなさんへ未来へのメッセージです。




今日は、みなさんの最後の「MURANO」のユニホーム姿を観させて戴くことができ嬉しかったです。


3年生選手のみなさん、ご父兄のみなさん ありがとうごさいました。

今日お会いできなかったご父兄のみなさん ありがとうございました。

トミ~父にも、お会いしたかったです 本当にほんとうに・・・ありがとございました。

濱野父、林田母 お大事に。

みなさんとまたお会いできますことを楽しみに、私も前へ進んで行きたいと思います。

ありがとうございました。

最後になりますが、選手のみなさんへ。

限られた時間の中での応援でしたので、ブログや記念ビデオの中の写真など多い少ないと偏りがあったりもあると思いますが、

自分なりに一所懸命応援する気持ちは20人それぞれに同じ気持ちなのでご容赦戴けたらと思います。


村野工業野球部3年生選手のみなさん、ご父兄の皆様

ご卒業、ご卒部おめでとうございます。

そして・・・

神戸村野工業 卒部試合 photo album

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巣立ちの日

またいつか、このページを覗いていただいたら

この思い出の日に戻れるように・・・。


10年後のみなさんへ・・・

『元気で頑張っていますか~』

























































































































































































































































































濱野くんボケボケで><;






































































ボケボケも多くてごめんなさい

ザ!チャレンジ!

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毎年のことですが野球のないオフ期はつまらないですね・・・

もうすぐ~がとても長く感じる2月です。

何か野球以外にも趣味というか楽しみがあるといいなと思って、

最近ふとしたきっかけでパステル画をはじめました。

絵を描くのは苦手です

なのにまた何でパステル?なんですが・・・

パステル画って失敗?が個性というか、これ違うな?と思ったら消しゴムで消して色を足す。

いくらでもやり直しが効くところが自由人の私にピッタリ!

色と消しゴムで創るアートがおもしろくて描いてみたいなと思いました。

飽き性な私が唯一長く続けられているのは、この甲子園きっぷと野球のことだけなので、

いつまで続くか分からないですけど、楽しみのひとつになればいいかなぁと

コンを詰めず、ブログと同じように描きたいときに描きたいものを描こう!と思います。

絵心も美的センスなどないものですから 

まずはYouTubeにアップされているお手本を見て想像を膨らませるところから。

眺めていても始まらないので、とりあえずチャレンジしてみよう!と、

いつ飽きるか分からないので材料も百均で揃えました。笑

何を描いてみようかな~と、待ち遠しい桜を描いてみることに。

ヘタクソすぎて笑ってしまいますが~結構頑張って描きました

なかなか思い通りにはいかないですが、ヒラメキも少しづつ出てきて

次はこんなふうにしてみようって楽しみも増えます♪

何より描いていると余計なことを考えず無にもなれて集中できるところが心地良い。
パステル画とても楽しいです


~はじめて描いた桜~



~菜の花畑と桜~ ・・・これはヘタクソすぎ



~春 のんびり~ ・・・のんびり描きました


球春です!今年も行きます野球旅!

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毎年、色んなテーマで野球一人旅をしています。

一昨年、その前の年は東京六大学秋季リーグに、日大三高出身の選手たちの大学野球を観る旅をしました。

応援していた三高選手たちの大学野球での活躍に、気持ち踊る楽しい旅でした。

さらに遡ると、三高の夏を神宮に観に行ったり・・・西東京の旅が続いていました。

昨年の野球旅は徳島まで弾丸日帰り旅で、池田高校 蔦監督さんの映画を観る旅・・・

慌ただしい日程の旅でしたが、とても心落ち着く素敵な野球旅になりました。

そして今年も野球旅に出かけます。

今年の野球旅は野球観戦ではないですが、どうしても会いたい野球人の方たち、

そして、ある高校野球部のマネージャーさんに会いに行く信州野球一人旅です。

本当は、もう少し先の4月終わりの予定でしたが、色々事情があり急遽来週末に行くことを今日決めました。

兵庫に比べると信州はまだ寒さも厳しそうで、雪に慣れていないので運転も少し不安ですが・・・

『全て上手くいく!』と、気持ちを前へ向けると、何時も上手くいくものです。

きっと素敵な野球旅になるだろうな~と、今からワクワクとても楽しみにしています。

今回の野球旅でお会いさせて戴く方々とは、本当なら出逢うことが無かった方々だったかもしれません。

でも・・・野球が縁を繋いでくれました。

出逢いは必然、出逢うべくして出逢えた・・・出逢える方々なんだと思います。

このご縁を大切に、元気を届けに、そして元気をもらいに行く旅にしたいと思います。


高校野球も8日には対外試合が解禁になり、球児のみなさんは冬の成果を試し、

そしてもうすぐ始まる春へ、その成果を発揮させる時がやってきますね。

沖縄や東京では春季大会の対戦組み合わせが決まり話題を集めていますね。

兵庫でも今週末に地区予選の対戦組み合わせが決まります。

春は夏へのスタート、兵庫の春を楽しみに今春も選手たちの頑張りを多く残せたらと思います。


パステルの日・・・テーマは、初めて野球パステル 

「春がきた」

球児たちのように練習の成果が発揮できなくて、まだまだ練習が足りないようです

第89回 選抜高校野球 対戦組み合わせ

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高校野球は対外試合が解禁になり、長かった冬練習で蓄えた力を発揮する春がやって来ました。

選抜甲子園も対戦組み合わせが決まりました。

楽しみな高校球児の春がいよいよ始まりますね。

選抜甲子園、どの対戦も熱き戦いが観られそうな組み合わせになりました。

楽しみですね〜♪

出場32校の選手のみなさん 春の頂点を目指して張って下さい。

野球旅中で携帯からの投稿なので、帰って改めて書きたいなと思います。

 第89回 選抜高校野球 対戦組み合わせ

松本 軽井沢 野球旅~出逢い 軽井沢高校野球部へ元気を届ける野球旅~

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長野県軽井沢高校野球部 
(左から)遠山部長さん、磯山選手、小宮山マネージャーさん、漆原監督さん


先週末、ずっと行きたかった長野県松本と軽井沢へ野球旅に行って来ました。

今回の野球旅の目的は野球観戦ではなく、再会と元気を届ける野球旅です。


再会・・・


巻山 塁偉選手からいただいた書 「こつこつと」

甲子園きっぷ日記カテゴリーの名称を「春夏秋冬こつこつと」と変えるきっかけをいただいた

松本の球児 巻山 塁偉選手のことは以前ご紹介させていただきましたが、

2年前、夏の甲子園にいらした際、ご家族で私に会いに来て下さったことがあり、

いつか今度は私が松本へ行きお会いしたいなと、ずっと以前から思っていました。


野球旅・・・

昨夏、長野県大会が始まる少し前、たまたまネットで軽井沢高校野球部の漆原監督さんとマネージャーさんが書かれている

「監督ブログ 軽井沢から叫べ」というブログに書かれていたある日の日記を目にしたのが始まりでした。

その日の日記には、昨夏最後の夏を長野県でたったひとり誰よりも早く終えることになる

軽井沢高校野球部3年生 磯山選手のことが書かれてあり、監督さんの言葉から事情を知って

私に何かができるわけでもないのですが磯山選手の夏を残したいな、

遠くからではありますが気持ちを寄せて応援させていただきたいなという気持ちになり、

監督さんのブログをご紹介させていただいたことがあります。

その日の日記を転写させていただいた記事です。

『太陽のように輝くラストボールを!~軽井沢高校野球部 磯山洋介選手の最後の夏~』


その夏、長野へ行って磯山選手の夏を見てみたい!と思ったのですが・・・

自分の行動力が足りず実現することはありませんでした。

磯山選手の夏が終わりを告げたこと、その時の様子も監督さんのブログで知りました。

その後、軽井沢高校野球部は新チームになり、部員一人とマネージャーさんの活動が続き、

春になり新しい仲間がひとり増えたものの思うように活動ができない状況の中、

それでも頑張っている様子を、それからもずっと監督さんとマネージャーさんが更新されるブログで拝見していました。


ある時期、色々な事情でマネージャーさんが一人で活動するようになった様子や、

その状況の中で自分ができるベストな活動をと一所懸命行動されておられる姿、

周りの方々が自分と同じような気持ちで応援されておられる姿を拝見し、

どこかのタイミングで私も軽井沢高校野球部へ自分の足で

小宮山マネージャーさんの最後の夏までに会いに行きたい!

元気を届けに行きたい!

行こう!という気持ちが大きくなりました。


少し話しは逸れますが、野球への興味もなかった私が、あるひとつの試合を観たことで

高校野球に興味が湧き応援したい!と思うようになり、

選手やマネージャーさんたちの頑張る姿を自分の目で見て感じたことを残したい・・・と球場へ行くようになりました。

そこで初めて気付きました。

野球はグラウンドでプレイをしている選手たちだけではないことを・・・

上手く表現できないですが、スコアボードに刻まれる「0」の中には

グラウンドでプレイしている選手の力だけではなく、

色々な立ち位置の選手やマネージャーさんたちの力が含まれているんだと感じた時、

自分のしたい応援は、グラウンドプレイヤーの姿を残すだけじゃなく、

ベンチプレイヤー、スタンドプレイヤー、そして選手を支えているマネージャーさんたちの

「0」の中の頑張りをほんの少しでもいいから残したい・・・

そういう気持ちが湧き、今の自分の「応援」という姿勢の根っことなっていきました。


今回の軽井沢高校野球部への野球旅は、自己満足でしかないのかもしれないけれど

表現するならスコアボードに刻まれた「0」の中の頑張りを残したいという、

自分らしいな!と思う野球旅だったと思います。

そうは言っても、ネットの中でしか繋がっていないチームへの訪問はそう簡単ではありません。

まして私がどこの誰だか?どんな目的なのか?

こちらの勝手な気持ちだけで突然行きますと言っても相手も困るだろうな・・・

どうしよう?どうしたら実現するかな?会えないの覚悟で行くだけ行くか?何とかなるさ!などなど色々考えました。

そんな折、巻山 塁偉選手のお父さんの高校時代の後輩にあたられる

岩村田高校野球部 花岡監督さんと、軽井沢高校野球部 漆原監督さんとは良くご存知の仲なので

花岡監督さんを通して連絡は取れるよ!と、お連絡をいただきました。

そんな身近に繋がりがあることに驚きと嬉しさで、私は花岡監督さんとは全く面識もないのにご無理をお願いし、

漆原監督さんとお連絡を取らせていただくことができました。


花岡監督さん・・・お会いしたことはないのですが、

実は、昨夏の甲子園の開幕日に甲子園へ行き長野県代表 佐久長聖の試合を観戦したのですが、

その際、巻山さんから「後輩の息子さんが出場しているから応援してやってね」とお連絡をいただき

花岡選手のことを甲子園きっぷに書かせていただいたのです。

今回の話しには、その花岡選手と花岡監督さんが私の中で全く繋がっておらず、

軽井沢高校のグラウンドで漆原監督さんや遠山部長さんとお話しをさせていただく中で、

えっ?!あの花岡選手のお父さんが・・・花岡監督さん!と驚いたのです。

私は巻山さんと出逢い、花岡監督さんは巻山さんの高校野球時代の後輩だった。

昨夏、軽井沢高校 磯山選手のことを知り、甲子園で花岡選手を応援した。

花岡監督さんと漆原監督さんは良く知られる仲で・・・

これを偶然と呼ぶのか・・・いや、これは全て必然だったんだと、

野球の繋がりは本当凄い!と改めて思いました。

今回の軽井沢高校野球部への訪問が実現したのは、巻山さん、花岡監督さんのお力がなければ叶わなかったこと。

部員のみなさんの一所懸命な姿や、監督さん部長さんの部員に対する大きな想いが

自分の気持ちを軽井沢へ絶対行く!という気持ちにさせてくれたのです。

そして突然の訪問を、漆原監督さん、遠山部長さんが快く受け入れて下さったことに心より感謝致します。


野球旅の始まり・・・

兵庫から名古屋へ、そして木曽路の道のりにまだ雪残る雄大な山々を眺めながらそれまでの色々なことが浮かび、

本当に会えるんだと思うとワクワクというより、気持ちソワソワという感じでした。


旅の初日、これも念願だった松本城へ行ったり、巻山家のみなさんとの再会、

松本で頂いた郷土料理や美味しいお酒の話しは、また次の頁で書きたいと思います。


野球旅2日目・・・

いよいよ軽井沢高校野球部への訪問の日。

軽井沢町の標高は約940mと高く、左手にそびえる2500mを超える浅間山の雄大な景色に感動しながら念願の軽井沢高校へ到着。





お忙しい中、私のために時間を作って下さり、漆原監督さんのお心遣いをいただきグラウンドに入れて下さいました。

ブログで見ていたあのグラウンドが目の前に広がり、何とも表現し難いとても神聖な気持ちになりました。


小宮山マネージャーさんと会うことができた瞬間は、感動と実現できた嬉しさと、

今ここは本当に軽井沢高校のグラウンドなんだ・・・という不思議な感覚とが混じり胸いっぱいになりました。

そして、私が来るということで監督さんがお連絡して下さり、あの磯山選手がグラウンドへ来てくれたのです。

まさか磯山選手に会えると思っていなかったので本当に嬉しかったですし、

そして、磯山選手の夏を観に行けなかったことを改めて後悔する気持ちが湧きました。

遠山部長さんもグラウンドまで来て下さり、色々お話しをさせていただきました。

小宮山マネージャーさんからは、将来の夢を伺いました。

彼女は将来、看護士さんになりたいという夢を持っておられ、

きっかけは東日本大震災で人を助ける姿を見て、自分も誰かの役に立てることをしたいと思われたそうです。

中学時代は部活もしていなくて、高校ではその夢のためにも何か人の役になれることをしたいと、

野球部のマネージャーになろうと思ったと話してくれました。 

立派な志を持っておられ、しっかり真のある素敵な女性だなと思いました。


「部活動は何のためにあるのだろうか?選手がいなければ当然野球の試合に向けた練習はできないが

練習ができないからマネージャーが活動する必要はないという考えにどうしたら結びつくのだろうか?」

「部活動を通して、人間としての成長を一番に考え、将来社会に通用する人間に育って欲しい」

「どんな活動だって、その目的を認識し活動していれば、絶対に他の部活にも劣らないものになると思うし、

ましてや必要がないなんて考えることはない」

ある日の監督さんのブログに小宮山マネージャーさんへの想いを綴られている言葉がありました。

そして、それは小宮山マネージャーさん自身がよく分かっていることだ・・・と。

とは言え、やはり選手や仲間が誰一人居ない中での活動は、彼女にとって苦しいこと、

悲しいこと、辛いこと、不安なことがいっぱいある中での活動であると思います。

それでも一人で、春に新しい仲間を迎えるために一所懸命考え行動している姿と、

将来の夢や、その夢のために行動しよう!と思ったと、強い意志を話してくれた彼女を重ねると、

彼女だから今を頑張れているんだな・・・

彼女だから軽井沢高校野球部のマネージャーという役割と縁があったんだろうなと実際に会って話してみてそう感じました。

何よりその状況の中で活動している彼女の気持ちを、一番近くで見守られておられる監督さんや部長さんが

気持ちに寄り添いベストな進み方を導かれながら、一番の応援者理解者であることが、

彼女が頑張れる大きな支えとなっていることに、三人で交わされる会話の空気の暖かさで感じました。


昨夏、長野県で一番短い夏を過ごした磯山選手ですが、あの夏を迎えるまでの道のりには

山あり谷あり、選手一人で野球を続けることへの不安や葛藤があったことは言うまでもなく、

二年生の冬「やめたい」・・・そんな追い詰められた気持ちになったそうです。

監督さん方とたくさん話しをし、最後まで頑張ろうと気持ちを前に向けたこともある日の日記で拝見していました。

磯山選手の最後の夏は、選手として仲間と一緒に甲子園を目指すこともチーム事情で許されず、

長野県大会開会式入場行進の先導役、開幕戦の始球式を努め、その一球が磯山選手の高校野球最後の一球となりました。







大会前、佐久長聖と上田西のベンチ入りを果たせなかった選手たちの引退試合を観戦した磯山選手は、

「引退していく選手たちが楽しんで全力でやっている姿が印象に残りました。

ただ、その反面 心のどこかには悔しさがあると思います。

全部は気持ちわかっているわけではないと思うけど、少なくとも、自分は彼らの思いも一球に込めて投げたいです」

と言葉を残しています。

全部は気持ちわかっているわけではない・・・

自分とは違う状況でベンチ入りを果たせなかった選手たちを見て出た言葉だと思います。

たぶん、その選手たちより悲しくて寂しくて苦しい気持ちだったのではないかなと察します。

それでも、思いも一球に込めて投げたい・・・

あの冬諦めず前へ進んだから、そう思うことができたのです。


磯山選手は、「やめたいと思ったこともあったけど、終わってみるとやっぱり寂しい」と話してくれました。

あの冬、もう一度頑張ろうと前へ進まなかったら、この言葉を聞くことは無かったのです。


磯山選手の最後の夏へ向けて、漆原監督さんが残された言葉に、

我慢の連続であった。

今日は練習にしっかり来るかという不安や、もしかしたらやめてしまうかもしれないという不安。

それはない日の方が少なかったように思う。

一番は磯山が高校野球をやり切った時に、成長があり、そして「最後まで続けてよかった」と思えること。

そして、彼にやり通すことが、結果、ベストであればという思いで続けてきた。

一番は選手たちにとって「ベスト」であること。

その軸がぶれないでしっかりとしていればという思いだけは持ち続けた。


以前、北部高校と中条高校との連合チームを組んでいたころの日記には、

途中で何が一番ベストかわからなくなりそうな時もあった。

でも悩んだ末、決断をする時に覚悟が決まっており揺るがなければ、それはベストになると信じている。

と、監督さんご自身も気持ちが折れそうな状況だったこと、

それでも選手のベストとは・・・磯山選手の最後の夏へのベストとは・・・と、強い想いで

あの夏を迎えられたことを察する言葉を残されておられる。


夏を終えて、

「三年間、高校野球を続けて、やり抜いてよかった」

この言葉が磯山選手から聞けたことが、磯山選手にとっても、漆原監督さん、遠山部長さん

マネージャーさんが辿って来られた道のりの先にあった最高の「ベスト」であったのだろうと感じる。




辛いことも耐えて続けることに必ず意味がある。

無駄なことはない。

監督さんの想いが通じた一瞬に感動し、そして誰より重い磯山選手の言葉だと感じました。


磯山選手は今春から社会人となり、会社のチームで野球を続けられると伺いました。

大きな山を登り切ってくれた教え子が、卒業後も野球を続けてくれることは監督さん方の何よりの喜びですね。

それを磯山選手から直接伺うことができたことは、私も本当に嬉しかったです。


グラウンドへ伺ったのは3月11日

東日本大震災が起こった日であり、小宮山マネージャーさんは、あの震災で自分の将来の夢を見つけ今頑張っている。

そして何と、この日は磯山選手のお誕生日だったのです。

この日を選んで行ったこと、偶然ではなく、やはり必然だと感じました。

巻山さんと花岡監督さん、漆原監督さんとの繋がりがあり実現できたこと、

これも偶然ではなく必然だったのだろう。

巻山さん、花岡監督さんのご協力無くしては実現はできませんでした。

漆原監督さん、遠山部長さんが快く気持ちを受け入れて下さったから実現できたこと。

全てのみなさんに感謝の旅になりました。

本当にありがとうございます。


小宮山マネージャーさんへ出逢いの思い出に「大丈夫」という言葉を贈りました。

「大丈夫」という言葉には全てに「人」という文字が入っています。

人は人に支えられて毎日があるのですよね。

人も自分に起こる物事も全ては必然、縁だと思うのです。

「大丈夫」と前向きな気持ちで行動すれば、自分へ与えられる必然の結果が現れます。

もしその結果が思うような結果ではなかったとしても、そう気持ちを向けて頑張れた

一番大切な自分の想いというものは必ず残り、必然の結果を受け止め、

また前へ進もう!と強い心が生まれると思います。

必然の出逢い、それをより感じた素敵な松本 軽井沢野球旅ができたことは私の一生の思い出の旅になりました。


小宮山マネージャーさんへ。

素敵な笑顔をありがとう。

向日葵のように太陽に向かい明るい笑顔で最後の夏を迎えられるよう、

自分を信じ今を進んで行って下さいね。



「大丈夫」

遠いけど、近くで応援していますよ♪

春、新しい素敵な出逢いがありますように。


磯山選手へ。

突然の訪問に、グラウンドまで走って会いに来てくれてありがとう。

さすが元高校球児!

これからは違う環境になりますが、大好きな野球をたくさんの仲間と一緒に楽しんで続けて下さいね。




最後になりましたが、巻山さん 旅中には色々お世話になりありがとうございした。

岩村田高校野球部 花岡監督さん ご無理お願いし申し訳ありませんでした。

快く引き受けて下さったことに心から感謝致します。

ありがとうございました。


漆原監督さん、遠山部長さん 

突然の自分の想いを快く受け入れて下さっただけではなく、嬉しいお言葉を下さり感謝の気持ちでいっぱいです。

本当にありがとうございました。


勇気を持って行動しなければ何も起こらない・・・

想いを持って行動すれば何かが起こり、気持ちは必ず伝わる・・・

自分が行くことで何が届けられるのか?と行く前は自問自答することもありました。

旅の後、小宮山マネージャーさんからメッセージをいただき、

これから何かに挑戦したい時には昨日のことを思い出し、心の中で

「大丈夫」

そう思いながら頑張りたいと思います。

軽井沢と離れていますが、私は今日いただいたものを見れば

近くで応援していただいているような気がして頑張れそうです。

今日からまた気持ちが切り替わってできそうです。

野球って不思議なスポーツですね。

こうしてまた新しい出会いができました。

野球に興味なかった私が野球を始めて本当良かったなと

いまは心の底から思えます。

と・・・。

磯山選手はじめ選手のみなさんや、小宮山マネージャーさんの一所懸命な頑張りがあったから、

そして漆原監督さんや遠山部長さんの部員に対する大きな想いを感じることができたから、

私が軽井沢高校野球部へ行こう!元気を届けに行こう!と勇気をもらい行動できたのだと思います。

でも実際に行くまでは、この行動って自分の一方的な気持ちの押し付けなのではないか・・・と

自分の思う応援というものに対して、正直なところ不安いっぱいでありました。

しかし、想いを持って行動すれば気持ちは伝わること、

無謀な訪問でありみなさんを驚かしてしまいましたが、

自分の目指す「0」の中の応援がこのように形として残すことができたことを嬉しく思いますし、

今、自分ができる「ベスト」の応援をさせていただくことができたと確信できる

小宮山マネージャーさんからいただいた言葉に感謝の気持ちでいっぱいになりました。


勇気を持って行って良かった!

そう思うことができた野球旅、貴重な経験をさせていただきました。

全てのみなさんに感謝致します。


またいつか軽井沢高校グラウンドへ行きたい!

部員のみなさんが笑顔で野球をする姿を見に行こう!と思う。

松本 軽井沢 野球旅~再会・・・松本いいとこ 美!観・食・酒~

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塁偉と力樹

松本 軽井沢 野球旅・・・再会

春夏秋冬こつこつと・・・この名前をもらった松本の巻山 塁偉選手

巻山家のみなさんとお会いするために、今回の野球旅は松本へ滞在し一年半ぶりに再会を果たしました。

長野県を訪れるのは初めてで、どんな街だろう~と楽しみで、どこに行こうかな、何食べようかな、

日本酒美味しいだろうなぁ~と行く前から色々調べて、いざ松本へ到着!

駅付近は想像していた感じとは雰囲気も違って賑やかな繁華街です。

長野といえば国宝松本城のある街

お城が大好きな私は松本城へ一度行ってみたい!と思っていたので、

巻山家のみなさんとの再会の時間まで到着後すぐに行こう!と決めていました。

一人旅をお気遣いいただいて、塁偉のお父さんがお城まで一緒に行って下さることになり、

花より団子・・・まずは駅にある「からあげセンター」というお店で、

松本のご当地グルメ 山賊焼きなるものを頂きました。




私の中で鳥が有名な県といえば香川なんですが、松本でブームの山賊焼きって???

名前の由来を調べてみたら、山賊が食べてたから・・・とは違うようです。

山賊焼きの名前の由来には3つの説があると本郷鶏肉さんのHPで見ました。
1.塩尻市のお店「S」さんが始めた。
2.松本市のお店「K」さんが、山賊は物を「取り上げる」⇒「鶏揚げる」から命名した。
3.山賊のように丸ごと豪快に手づかみで食べた。

だそうです。

味は、我が家で作るからあげのもう少しニンニクが効いた竜田揚げ(うちは醤油、生姜、ニンニク)のような感じかな~

形は平べっちゃいトンカツのような感じ。

お店によって味もこだわりがあるようです。

色々なお店で食べ比べしてみたい山賊焼き 

からあげとはまた違う大好きな味 ビールに最高!美味しかった!


ご当地グルメを頂いて念願の国宝 松本城へ。







兵庫には世界遺産姫路城がありますが、別名白鷺城と言われように平成の大修理を終えて更に真っ白な漆喰が綺麗なお城ですが、

松本城は姫路城とは対照的で、烏城とも呼ばれているだけあって真っ黒のカッコいいお城でした。

松本城周辺市街地は都市景観100選に選ばれるだけあって、駅周辺の賑やかさとは違い

城下町は静か~に時間が流れていて凄く素敵で落ち着く町並みでした。

お城の庭の木には雪吊り(木の傘)が雪の多い地域らしくて、雪の少ない兵庫の市街方面では見られない光景です。






































天守閣へ繋がる階段の傾斜と蹴り上げの高さにびっくり@@

1番傾斜がある階段で61° 下からみると圧巻の傾斜で登るのが結構大変です。

その日は平日だったので人も少なくて、案内の方が人が少ない時の方が落ちやすくて危ないんんですよ~って言われていました。




天守閣から見下ろす松本の街や、アルプスの山々が絶景でした。








松本城には徳川三代将軍家光公を迎えるために増築されたという珍しい月見櫓があります。

日本では、この松本城と岡山城にしかない月見櫓だそうですが、天守と一体になっている月見櫓があるお城は松本城だけで

貴重な歴史建造物を見ることができました。


もうすぐ咲く桜の季節、秋北アルプスの紅葉、冬の雪化粧も、ここから静かに眺めてみたいなぁという落ち着く空間でした。

松本城とても素敵なお城でした。




漆原監督さんから、上田城にもと教えていただいたのですが、時間の関係で行くことができず

次回、長野へ行く際には上田城も行ってみたいなと思います。


そしていよいよ一年半ぶりの巻山家のみなさんとの再会。

ママさんもお元気で~再会できて本当嬉しかったです。

力樹も塁偉とまた松本で会えるのは嬉しすぎました。

初めて会った時は高校野球最後の夏を終えたばかりの力樹。

あの時は夏を終えて心境など話してくれて、高校球児の最後の夏の大切さや、

人を成長させてくれる高校野球の素敵さも感じました。

今は次の夢に向かって日々頑張っているようで、表情から充実した毎日を送っていることが分かりました。

高校受験生の塁偉。

この日の3日前、公立校の受験が終わりホッとした表情で、初めて会った時よりたくさん笑顔をみせてくれて嬉しかったです。

今朝、志望校合格との報告をいただいて、とても嬉しかったです。

塁偉 合格おめでとう

高校でも野球を続けると伺っていますので、塁偉の高校野球も観たい!と喜びいっぱい楽しみいっぱいです。

二人とも、これから夢いっぱい!

お兄ちゃんの力樹は変わらず人懐っこくて、弟にも優しくて、塁偉にとって野球の先輩、これからも塁偉の1番の応援者。

ほんと仲良しで微笑ましい兄弟です。

巻山家のみなさんとは駅近くの「卯屋」さんという信州の郷土料理のお店へ。

食べるのが勿体無いくらい綺麗に盛りつけて下さった信州の山菜や珍味を大好きな日本酒と共に頂きました。

信州のお酒には、我が家の長男の名前「太一」という銘柄の日本酒があるのですが、

残念ながら卯屋さんには太一は居なくて残念^^;

諏訪市のお酒「真澄」と・・・あと何だったか?忘れた^^;美味しい日本酒を頂きました♪

松本では新酒会という新酒の日本酒が飲み放題@@!の素晴らしすぎる会があるようで、

いつか新酒会に行ってみたい!と憧れの日本酒会。

日本酒の飲み放題っていうのはヤバイですが・・・笑

お酒の話しが「先攻」してしまいました~^^;

巻山家のみなさんと素敵な松本での夜、楽しすぎました。

また甲子園旅でお会いしましょう。


力樹たちと三度再会を約束し、この後ここはほんとにピアノバー???というピアノバーへ連れて行ってもらいました。

マスターが別にお蕎麦屋さんも営まれておられるそうで、びっくりするくらい美味しいそばつゆで頂く信州蕎麦と、

この味を再現したい!と弟子入りしたという山賊焼きを、ピアノの音色を聞きながらいただくという不思議で素敵な空間。

暗くて、お蕎麦も山賊焼きもマスターも~真っ黒^^;笑


リクエストができるということで、大好きなトゥーランドット♪ アメイジンググレイス♪

そして今春選抜甲子園の入場行進曲 恋ダンスをリクエストしました♪

選抜が更に楽しみになりました。



マスターの山賊焼きは、お昼頂いたのとは全然違って優しい味でとても美味しかったです。

あのそばつゆの味が忘れられない・・・もう一度食べたい!

いつかまた行きたいなと楽しみが増えました。


翌日の軽井沢高校野球部の訪問では、漆原監督さんのご好意で、

遠山部長さん、磯山選手、小宮山マネージャーさんとご一緒に昼食を頂きました。

親子丼・・・何だか心温かすぎて。

思い出ごはんになりました。

漆原監督さん、ありがとうございます。


夜は松本駅近くにある貝料理のお店へ。

大好きな牡蠣を松本で頂けるなんて~

真澄(ますみ)と共に♪




新鮮な赤貝には松本のお酒 善哉(よいかな)と。

こんな飲んで良いかな~ですね^^;笑

宿泊先の朝ごはんが・・・優し~い。


ハーフバイキング式で信州のお漬物が色々頂けて、赤かぶが美味しすぎておかわり頂きました♪

魚やお味噌が日替わりで連泊の人にも優しい。

名物は信州のお味噌をつけていただく野菜のセイロ蒸し。

これが凄く美味しくて、巻山さんからお土産にいただいた石井味噌さんの信州三年味噌で作ろうと帰ってからセイロ籠を買いました。



松本の町、どこに行こうかな~って色々調べたのに、食べて呑んでばかりグルメ旅みたいになってしまい結局、松本城しか行けてない^^;

松本の町、観光は次回のお楽しみに♪

美しい町並みに美味しい食べ物がいっぱい!日本酒が本当美味しかった!

住みたい町 松本

松本いいとこ!

いつかまた行こう。





凄くすごく・・・

心に染みる思い出の野球旅になりました。

巻山家のみなさん、軽井沢高校野球部のみなさん

ありがとうございました。

松本に、そして軽井沢高校野球部に、素敵な春が訪れますように

2017.3.10 松本城の桜

2017.3.11 軽井沢の帰り道 小諸の桜

2017春☆甲子園 開幕☆彡 第1・2日目対戦結果

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選抜甲子園3日目は天候が悪く全試合中止となりました。

今日の対戦予定だった3試合は明日に順延、予定の日程は1日づつスライドするようです。

19日に開幕した選抜甲子園

2日目が終了し1回戦6試合が行われました。

呉と至学館との開幕戦は延長戦となり熱い戦いとなりましたね。

春の頂点を目指して、どの対戦も素晴らしい戦いとなっています。

春の開幕日には毎年甲子園へ行くことを楽しみにしています。

今年も甲子園へ応援に行って来ました。

年々、開門を待つ人の列が早い時間から長くなっているような気がします。

今回は6時に到着した時点で駅まで達するくらいの列ができていました。

高校野球への関心の高さが伺えます。

昨夏はチケット売り場まであと少しというところで中央特別自由席のチケットが完売してしまい、

大ショックで外野からの観戦となったので、また買えなかったらどうしよ~と思いましたが

何とかいつもの席で開会式から観ることができました。


開会式までの球場の清々しい雰囲気が私はとても好きです。

選抜は出場が決まり、開幕までの長い時間を選手たちも楽しみに待っていると思いますが、

私たち応援者も心待ちにしている春、ようやくやって来たこの日、

清々しい球場の空気の中、球児たちの春の始まりです。

入場行進の司会は兵庫県立小野高校3年杉本菜瑠さん。

司会は千葉県立検見川高校3年鈴木峻汰さん。

大阪府警察音楽隊フレッシュウインズのみなさん、京都府警察音楽隊カラーガード隊のみなさん、

日本ボーイスカウト大阪連盟のみなさんを先導に、

警察音楽隊の方々が奏でる今春の行進曲「恋ダンス」に乗って32校の選手たちの行進が始まりました。

原曲はテンポの早い曲なので、どんな編曲になるのか楽しみにしていましたが、

選手たちの行進にもピッタリな春らしい曲でした。


先頭は昨春の覇者、史上3校目の2連覇を目指し智辯学園
昨春も、昨夏も開幕日の対戦、今春も開幕第3試合に登場です。


準優勝校 高松商業は「全員で帰って来ます」と、夏再び甲子園を目指し、筒井泰生副主将一人の行進となりました。

南から北へ、秀岳館


熊本工業 智辯学園との初戦に挑みます。


福岡大学付属大濠

東海大学付属福岡

中村高校 14人の選手で行進
インフルエンザで開会式には参加できなかった選手たち心配でしたが、昨日の対戦には元気な姿が見られ良かったです。

明徳義塾

帝京第五

宇部鴻城 夏の甲子園でも素晴らしい行進を魅せてくれた宇部鴻城
今春も私の中で一番素晴らしい行進だったと感じるチームでした。

呉 はつらつとした行進でした。
ユニホーム、帽子、ソックスの色合いが春らしく洗練されていますね。
開幕戦、至学館と戦いました。







創志学園

高田商業

神戸国際大附属 いつも身近に観る兵庫のチームも甲子園で観ると一段とカッコ良いですね。

報徳学園 兵庫の選手たちの威風堂々とした行進を誇らしい気持ちで観させていただきました。
永田監督さんとの最後の甲子園 優勝目指して頑張れ!


履正社 昨秋の神宮大会覇者 日大三高との注目の初戦 良い対戦になりました。


大阪桐蔭

滋賀学園

福井工大福井 可愛い応援団長がいるんですよね~試合の応援スタンドも楽しみです。

高岡商業

多治見







至学館 呉との開幕戦素晴らしい対戦となりました。

静岡 静岡の応援スタンドも楽しみです。

日大三高 三高のユニホームは、やはりカッコいい!
この日をずっと待って応援してきたので本当嬉しい春、
野球の神様が開幕日の対戦を引き当ててくれました。









早稲田実業 誰もが注目の清宮主将率いるチーム 甲子園へ帰って来ました。



東海大市原望洋

健大高崎 とにかく楽しみなチームです。早く試合が観たい!


前橋育英 凡事徹底 一つひとつの選手たちのプレイに注目したいチームです。

作新学院 昨夏の覇者 あの熱い夏を思い出します。夏春連覇はこのチームだけが

仙台育英

不来方

盛岡大付属

札幌第一




全日本学生音楽コンクール全国大会 声楽部門高校の部1位
岩手県不来方高校3年生 竹内菜緒さんによる国歌斉唱
とても素晴らい歌声に感動しました。


昨春覇者 智辯学園を讃えて校歌斉唱 




昨春 準優勝校 高松商業 夏再び全員で甲子園へ帰ることを楽しみにしています。


選手が内野へ前進する際に下がる色採りどりの出場校名旗は選抜ならではですね。


作新学院 添田真聖主将による選手宣誓
清々しい素晴らしい選手宣誓でした。


【選手宣誓全文】
ここにいる私たちは、高校野球のひたむきさと高校生らしさを認められ、選抜されました。
仲間とともにいくつもの困難を乗り越え、今この場所に立てることを誇りに思います。
選ばれた自覚と、最後まで全力を尽くす責任を持ち、支えてくれる地域の方々への感謝を忘れず戦います。
先輩方が築いてくれたこの素晴らしい大会を私たちが継承し、人としての力を高めていく大会にすることを誓います。

平成29年3月19日
選手代表 作新学院高校主将 添田真聖

西宮市高等学校吹奏楽連盟、合唱は神戸山手女子高等学校の皆さんによる大会歌 「今ありて」
毎年楽しみにしています。
これを聴くと春が来たなぁと思います。














開幕戦 呉と至学館、履正社と日大三高の対戦を観戦しました。

智辯学園と熊本工業の対戦は、時間の都合で観戦できず録画での観戦となりました。



第1日目 開幕戦 呉vs至学館

両チーム足でチャンスを広げ得点に結び付けた場面が印象に残ります。
特に呉は、至学館 新美投手の独特のフォームを攻略し、積極的な走塁が素晴らしかったです。
至学館は新美投手、川口投手の小刻みな継投がありました、
新美投手の対応力は素晴らしく投打に活躍しました。
9回表 新美投手のヒットから、上垣内選手、池田選手のライムリー2ベースの2連打で同点としたところから流れは呉にあったのかも・・・
延長12回表 6-4と呉が勝ち越し、その裏
先頭の新美投手のレフトフェンス直撃2ベースヒット素晴らしい一打でした。
最後は野手、走者の交錯があり守備妨害で後味悪い終わり方となってしまったけど、
一所懸命なプレイの結果・・・
試合終了の挨拶後、至学館の選手たちから呉の選手たちへ勝利を讃え握手を求める姿は立派でした。
夏に勝利の校歌を聴けることを楽しみにしています。

1回裏 至学館 3番鎌倉選手のPゴロで先制!


2回表 呉 7番西岡選手 同点スクイズ!見事でした。


2回に流れた至学館の校歌♪ 胸熱くなる素敵な校歌ですね。


8回表 呉 2死満塁 至学館新美投手vs5番柏尾捕手 見応えある打席でした。


延長12回裏 至学館の攻撃
2死2塁 呉 池田投手vs9番藤原 大選手の打席
サードゴロに2塁走者と三塁手の交錯
守備が優先インターフェア、ランナーをアウトとし試合終了

チーム名123456789101112計 呉 0 1 0 0 1 0 0 0 2 0 0 2 6 至学館 1 0 0 0 2 0 0 1 0 0 0 1 5

呉 池田ー柏尾
至学館 新美、川口、新美、川口、新美、橋詰ー井口

第2試合 履正社vs日大三高

まず何より、日大三高が甲子園へ帰って来てくれたことが嬉しかったです。
初回、竹田投手の立ち上がりを攻め2得点先制した場面に三高の強さを感じた。
安田選手が「今まで自分が見てきたなかで一番すごいスライダーだった」とコメントを残していましたが、
昨秋神宮大会での早実 清宮選手の5打席連続三振も記憶に深く、
この日も安田選手の3打席を三振、特に3打席目の三振はバットを振らせず見逃しに。
毎打席見応えある対決でした。

3回表 日大三高 櫻井投手vs履正社 安田選手の2打席目


3回裏 履正社 竹田投手vs日大三高 金成選手の打席
金成選手 大きい!甲子園で観られて嬉しかった!


1得点を追う5回表 履正社 石田選手のスリーランには拍手しかない。
8回裏の同点打が津原捕手の一打であったことが何より嬉しい。
9回の履正社の攻撃は圧巻!打者一巡の猛攻で7得点
安田選手はやはり凄い!9回のレフトフェンス直撃2ベースヒットは見事な一打だった。
三高の選手たちは打たれたこと以上に守備の綻びを悔んだのではないかなと感じる。
秋の王者に破れはしたが、13安打と履正社を上回る打撃力は、
冬の選手たちの努力の賜物だと感じます。
夏再び甲子園へ帰るために選手たちは日々頑張ることだろう。

勝者を送り出す三高小倉監督さんが、準備ができる前から脱帽され待たれておられる姿に、小倉監督さんの人間力を見ました。
開会式前のスタンドで、念願だった小倉監督さんと握手をしていただいたこと、特別な思い出の春となりました。
夏、再び小倉監督さんと甲子園へ!
がんばれ!三高!

9回裏 日大三高の攻撃
3番櫻井投手ライト前ヒット!
4番金成選手レフトフライ
5番比留間選手ライト前ヒット!
6番代打金子選手三振
7番柳澤選手ライトフライ

履正社の勝利を讃えて校歌斉唱♪
日大三高、結果は残念でしたが、三高チャンステーマがずっと流れていた
9回の攻撃の空間は何か特別で、甲子園で三高を応援できた喜びを感じながら観させていただきました。

チーム名123456789計 履正社 0 0 1 0 3 0 1 0 7 12 日大三高 2 0 0 0 0 0 2 1 0 5

履正社 竹田ー片山
日大三高 櫻井、岡部、櫻井、岡部ー津原
本塁打 (大会1号) 履正社石田3ラン!

第3試合 智辯学園vs熊本工業

2連覇を目指し、初戦では熊本工業を松本投手が3安打完封、11安打を集め9-0で初戦勝利を飾りました。

チーム名123456789計 智辯学園 1 0 1 0 1 3 0 1 2 9 熊本工業 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

智辯学園 松本ー石田
熊本工業 山口ー丸山
本塁打 (大会2号) 智辯学園 太田2ラン!


第2日目 第1試合 高岡商業vs盛岡大付

凄い対戦になりましたね。
盛岡大付の劇的なサヨナラ勝利となりましたが、両チーム全力を出し切った素晴らしい対戦でした。
しかしどちらの選手も凄い打力!

チーム名12345678910計 高岡商業 2 0 1 3 0 2 0 0 0 1 9 盛岡大付 2 1 0 3 2 0 0 0 0 2× 10

高岡商業 土合、伏見ー筏
盛岡大付 三浦瑞、平松ー松田
本塁打 (大会3号) 高岡商業 筏2ラン!(大会4号)盛岡大付 松田

第2試合 報徳学園vs多治見

21安打21得点 得点も凄かったですが、走攻守どれをとっても
永田監督さんと一試合でも長くという選手たちの気持ちを感じた対戦でした。
清々しい頑張りを魅せてくれた多治見 また甲子園へ帰って来ることを楽しみに!

チーム名123456789計 報徳学園 2 0 8 0 0 2 4 0 5 21 多治見 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

報徳学園 西垣、津高、大石、池上ー篠原
多治見 河地、柘植、前田、柘植ー山田
本塁打 (大会5号) 報徳学園 小園

第3試合 中村vs前橋育英

中村の応援素晴らしかったです。
9回表 中村の1得点はスタンドの応援団の方々と一緒に挙げた夏に繋がる得点でしたね。
無失策の堅守にも拍手です。

チーム名123456789計 中村 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 前橋育英 0 2 0 0 0 3 0 0 × 5

中村 北原ー中野
前橋育英 丸山、皆川、根岸ー戸部


第1、2日目の勝者の2回戦対戦は・・・

呉vs履正社

智辯学園vs盛岡大付

報徳学園vs前橋育英

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