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広島如水館 迫田元監督さん 新たな野球道へ

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今週末22日、沖縄 北海道を初めに今夏も甲子園を目指し選手権大会が始まります。

身辺を取りまく状況や心情があり、ブログを更新する気持ちになれず

夏が始まるまでしばらく甲子園きっぷをお休みする予定でしたが、

経緯はあまり嬉しくはないものの、

大好きな広島如水館 迫田元監督さんの新たな野球道が

開かれたと嬉しい知らせに久しぶりにブログを更新しています。

 

高校野球界でも例外ではなく、大人の事情により

子供たちが戸惑いを覚える事態が起こることは少なからず起こっています。

如水館野球部を長きにわたり導いてこられた迫田監督さんのご退任を知った時は本当にショックでした。

記事にもある署名活動は他県にも渡り、私も実際目にしました。

私の中では、如水館野球部と言えば迫田監督さん。

雨の如水館と言われた2009年第91回大会。

高知との1回戦、2試合連続で降雨ノーゲームとなったあの夏は深く記憶に残ります。

ノーゲームとなった2試合は如水館がリードを取っていましたが、

試合が成立した3試合目、如水館が涙を飲みほろ苦い気持ちになった対戦でした。

 

最近では迫田監督さんの解説を聞きながらの高校野球は奥深く勉強になり、

また迫田監督さん率いられる如水館を甲子園で観たいなと思った矢先のご退任でした。

多くの選手やご父兄の皆様、ご関係者の方々が復帰を願っておられたと思いますが、

竹原高校野球部の選手たちと新たな野球道を進まれることと決まったようです。

如水館の監督さんへの復帰を願っていたので残念な気持ちもありますが、

高校球界でのご復帰は大変喜ばしいことであります。

 

竹原高校部員11名、マネージャーさん2人と目指す甲子園も悪くないなと、

まだまだお元気に、迫田監督さんの野球を学ぶ高校球児がこれからもたくさん増えること、

その選手たちと共に迫田監督さんが甲子園へ帰られることを願っています。

 

〜ひろスポ記事より〜

「クビ宣告」の迫田穆成氏復活宣言! 広島商、如水館監督として春夏14度甲子園の情熱を注ぎ込むのは、 安芸の小京都の普通の高校生11人

3月に如水館高校監督を退任した迫田穆成氏が6月16日、竹原市の竹原高校(西村憲三校長)を訪ね、

硬式野球部(山村 心監督、北田輝也部長)の練習をおよそ5時間見守った。

迫田氏は総合アドバイザー的な立場で竹原高校のグラウンドに立つことが決まった。

同野球部は現在、部員11名。3年生1名、1、2年生5名ずつ。

同校のホームページには次のように綴ってある。

 

「私たち,硬式野球部は選手11人,マネージャー2人の計13人で活動しています。

グラウンドでの全力疾走,気持ちをチームに向けることを意識して今年の夏に5年ぶりに1勝することを目標に頑張っています。

部活だけ頑張るのではなく,文武両道を心掛けています。

竹原高校硬式野球部の応援をよろしくお願いします。」

 

この日が初対面。あいさつを済ませた迫田氏は、部員たちに早速問いかけた。

「無死一塁で打球が三遊間へ飛んで、ゲッツーコース…。

サードからセカンドへ投げたらセーフになった。どちらが悪い?」

ひとりだけ「サード」と答え「セカンドカバーが遅れた」が多数派だった。

が、正解は悪いのは「サード」…

「野球は思いやりのスポーツ、ボールを持っている側に主導権があるということをまずはよく理解してからプレーして欲しい」

「そして大事なことは一生懸命に動くこと」

迫田氏はそう話し「あすからは自分たちで考えるようにして欲しい」とも伝えた。

 

迫田氏は7月で80歳になる。

高校野球指導者としては全国最高齢の域に達する。

迫田氏は広島商野球部の主将として1957年夏に全国制覇。

1967年に母校の監督となり1973年夏に優勝するなど春夏6度の甲子園出場を果たした。

1993年、如水館の前身だった三原工業の監督に就任。

三原市内に居を構え、春夏8度の甲子園出場と広島商時代を超える実績を積み上げ、2011年夏にはベスト8になった。

しかし2018年秋に如水館側から突如として退任の打診があり、次期監督の名前も挙がる事態となった。

保護者会などが行った退任撤回を求める署名活動には8000人以上が賛同し、

新年度の入部希望者が激減するなど様々な波紋が広がった。

けっきょく迫田氏は3月30日の春季県大会の予選リーグ・三原戦を最後に如水館を去り、

その後、住居も長女の暮らす竹原市に移した。

 

一連の流れをまとめた特別番組がNHKによってオンエアされたのは5月2日のことだった。

タイトルは「グラウンドの上で死にたい男〜高校野球監督 迫田穆成〜」。

その中では如水館の一件について「クビ宣告」と紹介された。

NHKドキュメンタリー特集にあるように、迫田氏は

「野球がないと死んでしまう」

が口癖で、フィットネスクラブなどに通い”調整”を続けていた。

するとNHK特番を見たという関係者などから連絡が入り、話はとんとん拍子に進んで行った。

 

6月13日、迫田氏は竹原市役所に今榮敏彦市長を表敬訪問。

「竹原高校野球部の活動が街の活力にも繋がっていくことになれば…」

との思いを強くしたという。

迫田氏の指導法は他の指導者ではなかなか真似ができない。

”迫田野球”をよく知る学校関係者のひとりは次のように話す。

「キーワードは包容力だと思います。選手を公平に扱い、気持ちを掴み、のびのびとした中でいいところを引き出すんです。

指導者は求心力だけ、というのではなくて遠心力もあるんです。

大きな舞台で、それじゃ自分たちでやってみろ、となる。

普通にやってそんな形になっていくところがすごいのではないでしょうか」

それでは、当の迫田氏は今回の”復活劇”をどうとらえているのか?

 

「すでに山村先生が指導されている訳ですから、私はお手伝いする形になります。

毎週、練習のない日がありますし、練習時間も限られています。

そうした環境の下で選手が喜んでやるのがまず一番。

それで、今いる選手の中から大学に進んでも野球をやってくれる子が増えるといいですね。

ノックですか?今、まだ体幹がちょっと弱っているので、もう少し鍛えてからになりそうですね…」

 

迫田氏はあす月曜日から、およそ2カ月半ぶりのユニホーム姿で

高校生たちの声と金属音が交錯する舞台に帰ってくる。

夏の県予選開幕は7月12日


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