白球回想 夏の兵庫大会史
兵庫球児100年のあしあと 45
1998年 第80回記念大会東兵庫で2連覇を果たした報徳学園が4年ぶりの頂点に。
しかも秋春夏の3冠、初出場した明治神宮大会では、
初戦の2回戦秋田経法大付を7-0(8回コールド)、準決勝中京大中京を11-6、
関西との決勝は10-1と圧勝し初優勝。
選抜では1回戦日大三高に3-2、2回戦広陵に5-3、
浦和学院との準々決勝は7-5、準決勝福井商業を7-1と勝ち上がり、
決勝の鳴門工業戦では15安打を放って8-2
28年ぶり2回目の優勝、絶対的な強さを魅せた。
そして迎えた夏の優勝。
「勝たなくてはいけないというプレッシャーの中で投げていた」と流したエースの涙に胸熱くなる。
勝って当たり前、勝てば称賛、敗れば・・・の期待の渦が巻き起こる。
名門と呼ばれるチームだからこその期待の大きさ。
しかしその期待の渦が、時には選手たちの苦悩を生むこともある高校野球だが、
その期待も選手たちの力になっていることには違いないのだろう。
第85回大会は、アン投手擁する東洋大姫路との延長10回の戦いを制し神港学園が
1996年第78回大会から7年ぶりに甲子園へ。
滝川第二との準決勝も延長15回、準決勝、決勝2試合連続の延長戦は凄い。
決勝戦決勝打がホームランだったという劇的な熱い2003年の夏。
兵庫高校野球史上、170校と最も参加校が多かったこの夏。
現在までこの数の参加校数には届かない。
道を調べようとよくアプリ地図を見るが、野球部があるのか?自体が不明だけど、
兵庫の高校野球で見たことがない多くの校名を発見する。
以降は年々参加校が減り162校を推移、今夏は162校の参加となる。
2001年 第32回明治神宮野球大会 決勝
関 : 森本、芳山 - 萬浪
報 : 石井 - 荒畑、長野
2002年 第74回選抜高校野球大会 決勝
鳴 : 丸山、細谷 - 浜永
報 : 大谷 - 荒畑
第84回大会(2002年)
~報徳3冠、「平成最強」~
第84回大会でチームを春夏連続の甲子園に導いた報徳の大谷智久投手
平成以降では「兵庫最強」の呼び声が高い。
2002(平成14)年の第84回大会で優勝した報徳。
新チーム結成から県内公式戦は21戦無敗を誇り、史上2校目の秋春夏の県大会3冠を達成。
秋の明治神宮大会、春の選抜大会を制し、全国でも指折りのチームだった。
1番尾崎匡哉はドラフト1位で日本ハム入りし、3番松下享平は兵庫大会で8打席連続安打の離れ業。
全試合完投で選抜優勝に導いたエース大谷智久は夏も仁王立ちし、
坂口智隆(現ヤクルト)を擁した神戸国際大付との決勝は5安打で完封した。
現在、ロッテの中継ぎ陣の一角を担う大谷。
絶対的な王者だった高校時代を振り返り
「勝たなくてはいけないというプレッシャーの中で投げていた」と明かす。
優勝を決めて歓喜に沸くナインの陰で、独り安堵(あんど)の涙を流したエースの姿がファンの心を打った。
第85回大会(2003年)
~巧者神港学園、アン砕く~
第85回大会決勝で勝ち越し本塁打を放つ神港学園の福本明良
1年生夏に鮮烈にデビューした東洋大姫路の左腕、グエン・トラン・フォク・アン。
3年生になった2003(平成15)年は選抜大会で4強に進出し、名実ともに大黒柱にのし上がった。
同年夏の第85回大会で主役にたちはだかったのが、試合巧者の神港学園だった。
大会序盤からコールドゲームがなく、接戦を勝ち抜いた。
滝川第二との準決勝は延長十五回、3時間26分の激闘を制した。
東洋大姫路との決勝も1-1で延長戦に持ち込んだ末、十回、
準決勝で決勝打を放った福本明良が再び左翼へ決勝アーチ。
3度目の甲子園出場を目指したアンの夢を打ち砕いた。
神港学園が記録した犠打は7試合で計37個。
名将・北原光広のベンチワークがさえ、史上170校が参加した大会の頂点に輝いた。
神戸新聞 松本大輔氏
兵庫球児100年のあしあと 1~20
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兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979年)
兵庫球児100年のあしあと 31~40
第62回~第77回大会(1980~1995年)
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第78回大会(1996年)
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第79回大会(1997年)
第80回大会(1998年)
兵庫球児100年のあしあと 43
第81回大会(1999年)
兵庫球児100年のあしあと 44
第82回大会(2000年)
第83回大会(2001年)