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兵庫球児100年のあしあと 34

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白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 34


第66回大会は、1960年 第42回大会で強豪育英を1-0で制し、

前身の明石中を含め4度目の優勝を手にしてから24年の時を超えて明石が優勝。

前年、須磨友が丘、川西西陵、三木北、神戸弘陵が初出場し、

翌年の、この66回大会では西宮甲山、播磨南、加古川南の3校が新たに兵庫高校野球の歴史に加わった。

66回の歴史の中で3度目の決勝延長戦となった。

初の決勝延長戦となった1934年第20回大会、優勝した神戸一中と対戦したのが前身の明石中だった。


第67回大会は、東洋大姫路が3年ぶりに優勝。

次に紹介する68回大会で連覇を果たすことになる。

その東洋大姫路と4回戦で一旦、部の歴史にピリオドを打った滝川の最後の夏。

姫路球場にその勇姿を観ようと7千人もの人が集まった光景を思い浮かべる。

その翌年、伝統を受け継いだ滝川第二が決勝に進出し、史上4度目の決勝延長戦を戦うことになる。


第66回大会(1984年)

~明石復活 24年ぶりV~


第66回大会で24年ぶりに優勝旗を手にした明石ナイン


1984(昭和59)年の第66回大会終盤は、ロサンゼルス五輪の会期と重なった。

西宮甲山、播磨南、加古川南の初陣3校を含め、155校が参加した。

同年開校の播磨南は1年生だけのチーム編成で臨み初戦でコールドゲーム負けしたが、

翌々年に大会初勝利を含む2勝をマークする。


名門復活を告げる明石の24年ぶり優勝が、全国的な話題となった。

村野工との決勝は延長十一回の熱戦を3-2で制した。

5回戦の香寺戦、準々決勝の舞子戦、準決勝の神港学園戦とも

1失点で切り抜けた小柄なエース高橋俊夫の外角低めを突く粘投がさえた。


主将だった岸本剛は県高校野球史に

「目標はベスト16突破だった。甲子園へ行きたい気持ちはあったが、現実とあまりにもかけ離れていた。

だから甲子園でPL学園に負けるまで本当に夢見心地だった」

と思い出を寄せている。


第67回大会(1985年)

~名門「滝川」最後の夏


第67回大会4回戦の東洋大姫路ー滝川戦を報じる1985年7月25日付の神戸新聞紙面


1985(昭和60)年の第67回大会を最後に廃部となる滝川が、全国的な注目を集めた。

東洋大姫路との4回戦。

姫路球場は約7千人の観客で膨れ上がった。

東洋大姫路・豊田次郎(元オリックス)、滝川・池上誠一(元近鉄)の両エースの投げ合いが続く。

東洋大姫路は七回、代打長谷川滋利(元マリナーズなど)の適時打で決勝の1点を奪った。

同年の選抜大会に出たチーム同士の対戦となった決勝は東洋大姫路が2-1で報徳に逆転勝ちした。

3年ぶり7度目の栄冠。


滝川の伝統は滝川第二が継承。

野球部の灯が消えた滝川で「新しく部をつくろう」という機運が高まり翌春、県高野連に再加盟する。

昭和40~50年代に部長を務めた平田家興(78)は

「滝川第二は伝統を受け継いだが、滝川の甲子園出場回数という歴史を引き継げない寂しさがあった」

と打ち明ける。


神戸新聞 吉岡猛逸氏


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