白球回想 夏の兵庫大会史
兵庫球児100年のあしあと 20
全国の参加校73校、全国大会出場校10校だった第1回大会
40回大会には全国の参加校も1807校となり、
選手権大会は47都道府県の優勝校47校が出場するようになった記念すべき大会。
兵庫県では新風を吹き込んだ姫路南の初優勝。
準決勝 私神港(現神港学園)との一戦が紹介されているが、
時を超え2014年夏 両校は4回戦で対戦しており、私の中で色濃く残る好勝負。
勝って涙、敗れて涙・・・高校野球の素晴らしさを感じた思い出深い一戦だった。
2014 夏のmemory♪第96回全国高校野球選手権兵庫県大会 4回戦 神港学園vs姫路南 観戦記
この40回大会優勝から甲子園へ帰っていない姫路南ですが、
近年では86、87回選抜21世紀枠兵庫県推薦校に2年連続で選ばれるなど、
新風ではなく常風に強さを魅せてくれているチームです。
甲子園へあと一歩。
今夏60年ぶりの甲子園へ!100回目の兵庫の夏頂点を目指す姫路南です。
第40回大会(1958年)
~姫路南、西播勢初の頂点~
優勝旗を授与される姫路南の選手
(兵庫県高校野球五十年史より)
1958(昭和33)年の第40回大会は姫路南が初優勝。
神戸・阪神勢に明石が対抗してきた兵庫の勢力図に、姫路市西部の新鋭が風穴をあけた。
6試合中4試合が1点差ゲーム。
4回戦の兵庫戦は延長十七回、準決勝の私神港(現神港学園)戦は延長十六回を戦い抜いた。
4番打者だった津田昌吾(77)は「何度あかんと思ったか。野球の神様がついとったんかな」
と激闘の日々をしみじみと思い返す。
西播勢初の代表校誕生に地元は沸き立ち、翌59年の姫路球場建設への足がかりにもなったが、
当時のナインは「全国大会への不安で下を向いて宿舎へ帰った」と津田。
それでも1県1校の47代表が初めて揃った記念大会で多治見工(岐阜)に2-1、
清水東(静岡)に4-3としぶとく2勝を挙げた。
その後は、春夏通じて甲子園出場を果たせていない。
神戸新聞 山本 哲志氏
兵庫球児100年のあしあと 1
激闘の譜 第100回へつなぐ
第1回大会(1915年)
兵庫球児100年のあしあと 2
第2回~9回大会(1916~1923年)
兵庫球児100年のあしあと 3
第10回~13回大会(1924~27年)
兵庫球児100年のあしあと 4
第14回大会(1928年)
第15回大会(1929年)
兵庫球児100年のあしあと 5
第16回大会(1930年)
兵庫球児100年のあしあと 6
第17回大会(1931年)
兵庫球児100年のあしあと 7
第18回~20回大会(1932~34年)
兵庫球児100年のあしあと 8
第21回大会(1935年)
第22回大会(1936年)
兵庫球児100年のあしあと 9
第23回大会(1937年)
兵庫球児100年のあしあと 10
第24回大会(1938年)
兵庫球児100年のあしあと 11
第25回大会(1939年)
兵庫球児100年のあしあと 12
第26回大会(1940年)
兵庫球児100年のあしあと 13
第27回大会(1941年)
兵庫球児100年のあしあと 14
第28回大会(1946年)
第29回大会(1947年)
兵庫球児100年のあしあと 15
第30回大会(1948年)
第31回大会(1949年)
兵庫球児100年のあしあと 16
第32回大会(1950年)
兵庫球児100年のあしあと 17
第33~35回大会(1951~53年)
兵庫球児100年のあしあと 18
第36回大会(1954年)
第37回大会(1955年)
兵庫球児100年のあしあと 19
第38回大会(1956年)
第39回大会(1957年)
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兵庫球児100年のあしあと 20
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