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兵庫球児100年のあしあと 14

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GWみなさんはゆっくりお休みできましたか~?

私は9連休の長い休みをいただき半分は野球、いつもな感じのGWでした。

今日は朝から一日雨。

月曜日の雨ってテンション下がりますよね。

休みすぎたので仕事モードに戻るのが少し辛い月曜日でした。


神戸新聞連載の白球回想 夏の兵庫大会史

第27回まで書きましたが、県大会やGWでお休みしている間に第40回大会まで進んでしまいました。

またボチボチ追いかけながら書いていきたいと思います。


兵庫球児100年のあしあと 14

第28回大会(1946年)

~球音再び、初陣芦屋中V~


第28回大会で初出場初優勝を果たした芦屋中ナイン
(芦高野球部十年「「翠球」より)

終戦から1年後の1946(昭和21)年、兵庫にも球音が戻った。

途中で大会中止となった41年以来、5年ぶりに再会された第28回大会。

戦後初の覇者は、初出場の芦屋中(現県芦屋)だった。


前年の45年に発足したばかり。

戦火で校舎は焼かれ、近隣の小学校に分散して間借り授業を受けながら、

グラウンドも用具もない中でのスタートだった。

(芦高野球部五十年史「翠球」から。)

初代野球部長の岸 仁は「中古ボールを求めて何回となく三宮の闇市をうろついた」と記している。


チームの中心は下級生エース有本義明と「左投げ捕手」の橋本修三主将。

関学中との決勝戦はスローボールと逆風を生かしたアウドロ(外角のドロップ)を駆使して4-0で完封した。


甲子園球場が米軍に接収されたため、全国大会は西宮球場で開催。

芦屋中は1回戦で敗れたが、1期生の功績は学制改革後の黄金期へと引き継がれた。


第29回大会(1947年)

~神戸一中、13年ぶり復活


第29回大会で復活優勝を遂げた神戸一中ナイン
(神戸一中・神戸高校野球部九十年史より)


愛知・中京商の全国中等野球大会3連覇時に監督を務めていた山岡嘉次が

神戸一中(現神戸)に赴任したのは、1935(昭和10)年だった。

44年3月に横浜へ移るまで、明治年間創部の古豪に在籍した。

山岡監督時代、神戸一中は全国大会に出場できなかったが、戦後2年目の47(同22)年に復活を果たす。


春の選抜大会出場に続き、夏の第29回大会は準優勝で積年のライバル、神戸二中(現兵庫)に15-4で大勝。

決勝は7-6で三田中(現三田学園)の猛追を振り切った。


主将を務めた谷村 匡は「温かくも厳しい諸先輩のノックの洗礼を受けて一戦ごとにに強くなっていった」

と神戸一中・神戸高校野球部九十年史に寄せている。

名伯楽・山岡の教えを受け、戦中戦後の混乱期を生き抜いたOBの熱意が、

13年ぶりの凱歌(がいか)を響かせた。


神戸新聞 山本 哲志氏


兵庫球児100年のあしあと 1
激闘の譜 第100回へつなぐ
第1回大会(1915年)

兵庫球児100年のあしあと 2
第2回~9回大会(1916~1923年)

兵庫球児100年のあしあと 3
第10回~13回大会(1924~27年)

兵庫球児100年のあしあと 4
第14回大会(1928年)
第15回大会(1929年)

兵庫球児100年のあしあと 5
第16回大会(1930年)

兵庫球児100年のあしあと 6
第17回大会(1931年)

兵庫球児100年のあしあと 7
第18回~20回大会(1932~34年)

兵庫球児100年のあしあと 8
第21回大会(1935年)
第22回大会(1936年)

兵庫球児100年のあしあと 9
第23回大会(1937年)

兵庫球児100年のあしあと 10
第24回大会(1938年)

兵庫球児100年のあしあと 11
第25回大会(1939年)

兵庫球児100年のあしあと 12
第26回大会(1940年)


兵庫球児100年のあしあと 13
第27回大会(1941年)


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