白球回想 夏の兵庫大会史
兵庫球児100年のあしあと 43
絶対的エースを擁し、決勝で19得点を挙げ完封と驚く強さで
1988年 第70回大会以来11年ぶりに滝川第二が優勝。
間近の大会では、記事にもある53回大会の報徳学園が山崎を16点差、
80回大会東兵庫で報徳学園が仁川を18-3 15点差などの大差の決勝はあるものの
19得点差の完封はこの対戦が最多記録。
決勝でのこの得点差はもちろん凄い!と思う。
でも敗れたチームへ心が更に重くなる。
第81回大会(1999年)
~滝川第二決勝最多19点~
第81回大会決勝で完封した滝川第二のエース福沢卓宏投手
記録に残る圧巻の優勝劇だった。
1999(平成11)年の第81回大会は滝川第二が決勝史上最多の19得点。
19-0で市川を退け、第53回大会の報徳ー山崎の16点差(17-1)を上回り、最多得点差も塗り替えた。
後の中日入りする主砲中村公治、高校日本代表の1番熊崎清龍が中心の打線はスケールが大きく、
7試合で計76得点。
さらに99年のドラフトで中日から2位指名を受けるエース福沢卓宏は準決勝、決勝を完封。
無類の投打を誇った。
当時の4番・捕手で現在は専大コーチの吉田鉄平(36)は
「福沢のスライダーは高校生には打てない切れだった。負ける気がしなかった」と思い起こす。
ただ、優勝候補にも挙げられた甲子園大会は準々決勝で敗退。
伝統を受け継ぐ旧制滝川中時代からの悲願は果たせなかった。
神戸新聞 松本大輔氏
兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)
兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979年)
兵庫球児100年のあしあと 31~40
第62回~第77回大会(1980~1995年)
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第78回大会(1996年)
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第79回大会(1997年)
第80回大会(1998年)
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兵庫球児100年のあしあと 43
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