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兵庫球児100年のあしあと 29

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白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 29


東洋大姫路によって兵庫へ5度目の大優勝旗が届いた59回大会。

1952年の第34回大会 芦屋が全国制覇を成し遂げてから25年、

決勝の舞台に兵庫勢が上がったことも25年ぶり。

愛知 東邦との決勝打は史上初のサヨナラ3ラン!劇的すぎる決勝戦だ。

準優勝投手となった東邦 坂本圭一投手は「バンビ」の愛称で親しまれ、

2016年夏の甲子園を沸かせた藤嶋投手が(中日ドラゴンズ)「バンビ二世」と呼ばれる由縁となった。

この後、1981年 第63回大会で金村義明投手を擁する報徳学園、

1993年 第75回大会には育英が全国制覇を果たした。

今夏、100回大会は育英の優勝から25年。

記念すべき大会で記念すべき記録と記憶を残す兵庫球児の姿が見たい。


第59回大会(1977年)

~東洋大姫路、深紅の大旗~


第59回大会決勝の市尼崎戦で1安打完封した東洋大姫路の松本正志投手


1977(昭和52)年の第59回大会は、王者・東洋大姫路が盤石の勝ち上がりを見せた。

5度目の出場となった夏の甲子園では決勝で安井浩二主将がサヨナラ3ラン。

大会史上初の快挙で初優勝を飾り、52年の県芦屋以来、

25年ぶりに兵庫に深紅のの大旗を持ち帰った。


左腕エース松本正志(元阪急)を軸に隙がなかった。

夏の大会前の春季近畿大会決勝では、強豪のPL学園(大阪)を相手に11-1で大勝。

兵庫大会も危なげなく、初優勝を狙った市尼崎との決勝は、松本が八回まで無安打。

九回に初安打を許したが、1安打完封の快投を演じた。


創部当初から部長を務めた大久保強(80)が

「練習試合も含めてほぼ負けたことのないチームだった」と評する絶対的なチーム。

70~80年代の黄金期でひときわ輝いた1年だった。


神戸新聞 宮崎真彦氏


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


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第42回大会(1960年)


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第45回大会(1963年)
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第47~49回大会(1965~67年)


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第54~56回大会(1972~74年)


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