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軽井沢高校野球部 漆原監督さん ~最後のブログ~

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現在行われている兵庫の春の対戦結果を追いながら・・・

いつも頭に浮かぶのは、先日訪問させていただいた軽井沢高校野球部のこと。

当たり前のことかもしれないけれど、4000あれば4000の高校野球、部員たちが居ることを深く感じますし、

当たり前に野球ができるチームもあれば、当たり前に野球ができないチームの部員たちが多く居ることに

気持ちが揺れながら結果を書いています。


現在、部員は小宮山マネージャーさん一人で活動する軽井沢高校野球部ですが、

彼女が春の新しい出逢いに向けて準備を進められる様子をブログで拝見していて、

当初自分の中では、新一年生部員と笑顔で野球をする小宮山マネージャーさんに会いたいなと、4月の下旬に行こうと思っていました。

しかし漆原監督さんのご転勤を知り、漆原監督さんにも軽井沢高校野球部のグラウンドでお会いしたいという想いがあり急遽先日の訪問となりました。

新たな春を楽しみに、一人一所懸命活動を続けられている小宮山マネージャーさんにとって

漆原監督さんのご転勤は不安や寂しさを大きく感じたのではないかなと思います。

一番の応援者である監督さんも、新しい春、小宮山マネージャさんの最後の夏を楽しみにされておられたと思いますので、

軽井沢高校野球部の監督さんとして見届けられなくなったことは寂しさ大きいのではないかと・・・。


漆原監督さんの最後のブログを拝見させていただきました。

これまでのチーム、選手の様子を改めて拝見させていただいて、

部員と指導者、高校生と先生という関わりの中で創り出される気持ちや、築かれていく信頼関係、

指導者、先生が子供たちへ向けられる気持ちの大きさの分だけ

多感な時期に居る子供たちにとって、かけがえのない大きなものが心に残っていっているように感じる

監督さんの最後のブログ・・・胸が熱くなりました。


いつも部員に対して「感謝」という気持ちを向けられる漆原監督さんですが、

こんな気持ち温かい監督さん、先生と出逢えた部員のみなさん、生徒さんは幸せですね。

これからも遠山監督さんとの新しい軽井沢高校野球部の一番の理解者、応援者として見守られて行かれることだと思います。


遠く離れている軽井沢高校野球部の様子を監督さんやマネージャーさんのブログで拝見することが楽しみであります。

軽井沢高校野球部を応援されておられる皆さんも楽しみにされていると思います。

そして、全国同じような事情で活動がしにくいチーム、部員たちにとって励みになるブログだと思います。

漆原監督さんのブログは最後になってしまいますが、

ぜひ、遠山監督さんが引き継いで書いて下さること、私からもお願いしたいなと思います^^。



軽井沢高校野球部 一意専心 ~感謝の気持ちを力に変えて11年ぶりの夏一勝~

「軽井沢高校監督しての最後のブログ~」



ご紹介させていただきたいと思います。


ブログアップをしばらくしていませんでしたが、今日が最後のブログになります。

3月いっぱいで、5年間過ごした軽井沢高校を去ります。
5年もいると愛着が湧き、転勤ということを受け入れるのが少し難しくて、フワフワした感じがしています。
一つずつ整理して、31日に去りたいと思います。
また、直接報告すべき方々にもまだ連絡ができていないので、連絡もしたいと思います。
この5年間で沢山の経験をさせてもらいました。
そして、沢山の人に支えてもらいました。
学んだことは山ほどあります。
成長もできたと思うし、成長する喜びも感じました。
でも最終的に行きつく答えは、支えていただいた方々への感謝の気持ちです。
本当にありがとうございました。
自分ももっと利己的でなく他己的にならなければと思います。

野球に関して思い返すと、忘れられないことが沢山あります。
強くとしようと意気込んでいた一年目。秋から佐藤監督からスイッチし、
初めての監督としての立場を引き継いだスタートは部員4名。
2年目には、軽高の規定により、大会に出なければ同好会になってしまうという焦りから、
一年生を寄せ集め、春の大会に参加。
これが自分が監督として参加した単独チームとしての唯一の大会でした。
結果は42-1という屈辱的敗戦。
高校野球の厳しさと自分の考えの甘さを知りました。
そして、部内の問題が発覚し、部の立て直しを行うべく、
坊主、挨拶、日常生活の徹底などを行い、残った部員は一年生3人。
山内、高橋、関でした。
この3人にマネージャーの土屋玲美が加わり、そして、夏休みには楜澤が入部。
この学年の5人は決して逃げ出さず、最後まで自分についてきてくれました。
大きな声の挨拶や制服の着こなし、そしてしっかりとした学校生活、毎日の練習、土日の1日練習。
こんな自分にとっては当たり前の野球部も軽井沢の中では他の生徒から見ると、異常だと思われていたらしく、
彼らも「人数が少ないのによくやってるね」「そんなことやっても結局弱いじゃん」など、
心無い一言に悔しい思いをしていたと、マネージャーの土屋玲美が悔しそうに話してくれたこともありました。
でもそれでも自分を信じ最後まで続けてくれたことは、いくら感謝をしてもしきれません。
ある者は大学野球を続け、いずれは教師に、ある者は家業を継ぐため修行をしに県外へ、
ある者は憧れていた自衛隊、ある者は臨床検査技師を目指し大学で勉強と
それぞれの道をそれぞれの足で歩んでくれています。
悔やんでも悔やみきれないのは教え子を若くして失ったことです。
昨年末、関将大は浪人中でしたが、自宅で勉強中に病に倒れ帰らなぬ人となってしまいました。
大学へ合格したら野球をやると言ってくれた彼の頼もしい姿を思い浮かべると、
突然のことで、未だに信じられないし、受け入れるのが難しい。
成績も伸びていたのでこの冬の受験ではきっと結果が出ると信じていました。
本当に悔やんでも悔やみきれません。
苦しかったはずなのに、彼は一度も野球を辞めたいと思ったことがない、
本当に野球が大好きな素晴らしい青年でした。
体が大きく、チームの四番。
数少ない野球経験者だったので、色々なポジションをやってもらわなければならなかったのは気の毒でしたが、
それだけ頼りになる男でした。
彼がいたから今の軽井沢高校野球部があるし、それを慕っていた後輩の磯山も入部し最後まで続けることができました。
感謝してもしきれません。

次の年には磯山が入部。
彼は最後の夏、公式戦にすら出れませんでしたが、それまで多くの方々の支えのお陰で、
夏は先導と始球式の大役を果たし、それが結果的に就職につながりました。
たった1人の選手でしたが、それを支え続けた小宮山佑茉は陰のMVPだと私は思っています。
磯山が部活を辞めたいと部活に来ない間も黙々と学校の掃除や北部・中条高校の合同練習などにマネージャーだけの参加、
彼女は決して辞めたいとも言わず、磯山と軽井沢高校野球部を信じ続けました。
磯山が最後までできた大きな支えでした。
それは磯山だけでなく、我々指導者も同じです。
磯山が辞めそうになり、どうするか悩んでいる間にも彼女が諦めない姿勢を見せてくれたからこそ、
私も諦めない気持ちをより一層強くし、活動を続けて来れました。
小宮山は四月の新入部員を信じ、環境整備やポスター、チラシ作りなどを1人でも休まず活動しています。
皆さんの応援をよろしくお願いします!
部員が辞めずに続けて来れた、または続けている、この状況は本当にありがたい。
彼らを支えていたのは強い絆とおうちの方々、そして理解ある友人、応援してくださる先生方、
合同練習やチームを組んでくださった臼田高校、屋代南高校、北部高校、中条高校、岩村田高校、長野西高校、
北佐久農業高校、佐久平総合技術高校、野沢南高校、小海高校、小諸高校、佐久長聖高校、地球環境高校、
長野商業高校、諏訪双葉高校、高遠高校、中野立志高校、白馬高校、群馬長野原高校、群馬下仁田高校、
群馬松井田高校、埼玉武蔵野高校、佐久コスモスターズ、長野好球倶楽部、
そして多くの練習試合をやってくださった高校の生徒や指導者の方々のお陰です。
感謝をしてもし尽くせません。
ありがとうございました。
また、軽井沢高校や、野球界には直接関係なくても支えてくださった方々がたくさんいました。
ありがとうございました。
引き続き軽高の応援をよろしくお願いします。

次の勤務校は上田高校です。
新しい場所に緊張しながらも、自分の力を発揮し、そして、もっと成長できるように頑張りたいと思います!!


この出逢いに感謝です。

これからも、遠くからではありますが気持ちを寄せて、軽井沢高校野球部を応援させていただきたいと思います。

そして、関 将大選手のご冥福を心よりお祈り致します。


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